きょうも目眩は大丈夫だったのと、天気も良かったのとで、
朝から、確定申告に行って来た。
提出だけだったので、窓口の列に並んだ時間を除けば、
問題なく進み、受付印を貰って、簡単に終わった。
我が家は最初は主人が公務員だったし、官舎住まいだったので、
確定申告には全く行ったことがなかった。
手元の書類を見ると、一枚目は『平成14年度分』、ということは、
結婚してほぼ十年経ったあたりで、初めて確定申告を経験したわけだ。
この年、舅の食道癌・膀胱癌がわかり、
ほぼ同時に姑がパーキンソン症候群で寝たきりになったので、
医療費控除を受ける必要が生じたのだった。
受付印の日付は平成15年3月14日、今治税務署、となっている。
平成16年3月2日から広島東税務署の印になっていて、
平成17年3月14日、平成18年3月6日、平成19年3月12日、
平成20年3月7日、平成21年3月6日、そして平成22年3月8日、
・・・私は毎年、3月に入ってからジタバタやっているようだ(汗)。
最初の数年間で、医療費が、年々ふくらんで行ったことが、
残っている書類を見ると如実にわかる。
舅も姑も、なんとかして、なおりたかった・元気になりたかったから、
こんなに懸命に病院に通い、検査や治療に耐え続けたのだ。
それががっくりと減ったのが、今回だった。
昨年6月の初めに姑が亡くなったからだ。
家族がひとり居なくなったことが、医療費の激減として現れていた。
ばーちゃん、ずっと、いっぱい、頑張って来たのだ。
それが、とうとう、終わってしまったと、数字が、言っていた。
余談だが、姑は、あきらかな被爆者でありながら、
広島市の高齢者らしからぬことに、被爆者手帳を持っていなかった。
「健康じゃし、よぶんな税金、使わして貰うこたぁないで」
という、若い頃の舅の意見に従い、
手帳の申請そのものをしていなかったのだ。
被爆者手帳があれば、事実上ほとんどの医療費が無料になるうえ、
原爆由来の病気になった場合は、管理手当も貰える。
そうした恩恵に与っている方々が多い中、姑は例外的であったと思う。
「原爆手帳、持っとってないん?」
とケアマネさんやヘルパーさんにも、驚かれたものだった。
尤も、姑は最晩年になって病の連続であったので、さすがの舅も、
「しもうたのぅ。あんとき、手帳、貰うときゃ、えかったのぅ」
と、結構、後悔していたのだったが(爆)。