『白洲正子自伝』を読んで、彼女の特異な感性に大いに心惹かれたので、
今度は、近しい方の目を通して描かれた白洲正子を知りたいと思い、
『次郎と正子―娘が語る素顔の白洲家』 (新潮文庫) を買ってきた。
この本は、次郎と正子の長女である牧山桂子さんが書かれたものだ。
詳しいことを含めた感想は、また機会があれば書きたいと思っているが、
とにかくこの本を読んだ御陰で、私は、ある意味、想像していた通り、
白洲夫妻がかなり変わったご夫婦であったことが、よくわかった。
互いに非凡な能力を発揮して活躍した次郎と正子は、
生活者としてもまた、良くも悪くも、平凡とは懸け離れた人たちであり、
娘さんは容赦なく、しかし深い愛情を込めて、
その、どこまでも規格外であった次郎と正子の思い出を綴っていらした。
桂子さんが3歳のときに、正子は最初の本『お能』を出したので、
記憶の中の、母としての正子は、いつも家で原稿を書いていて、
家事などしたことがなく、子供が病気でも自分の用があれば出かけるなど、
子供のことは構わずに、自分の世界を大切にしている人だった。
白洲家には長年、正子の「おつき」の女性がいてくれたが、
時代とともに住み込みの家政婦さんを頼むことも難しくなり、
しまいには、桂子さんが次郎や正子の食事の世話をするほどになった。
後年、正子は、桂子さんの生んだ赤ん坊を抱きながら、
世の中の非行少年のことを話題にして、
『あれは育てた親が悪い』
『あんたもしっかりしないと、この子もああなる』
『自動車の運転免許より子供を生む免許が要る』
などと言ったのだそうで、桂子さんは
『母がその試験を受けたら落ちるに違いない』と内心思ったが、
さすがに気の毒で言えなかった、と書かれていた。
・・・という話をしていたら、我が娘が言った。
「おかーちゃんでも、御飯くらい作ってくれるのにねえ」
道楽者で痴れ者の私は、一歩間違えば、御飯を作らなくなりそうだ、
・・・という気配を、娘は、感じているらしい。
だが、残念ながら、私は正子のような感性のきらめきを持たないので、
そうなったら、文字通り、遊び人の居候になるだけだ。