ピアノのレッスンで、シューマンの『メロディー』を弾いたとき、
姑が先日亡くなったことをご存知の先生が、
「とうとう、おばあちゃんを送る歌になっちゃいましたね」
と仰った。
この曲は、当初から私の心の琴線に触れるものがあったが、
特に9日の葬儀が終わって以来、私はこれを、
まさにレクイエムのように感じていたので、
先生のご慧眼には驚き、また、気持ちを共有して戴けたことに感謝した。
若く、元気だった頃の、はつらつとした姑のことは、
舅や主人が、私などよりも、ずっとよく知っているし、
舅・姑・主人の、親子三人の想い出には、
私の立ち入れないものが多くあり、それは当然だと思っている。
けれど、最晩年に、病を得てからの姑のことを、
最もよく知るようになったのは、最終的には、私だったと思う。
少し前まで、もっとよくわかっていたのは舅だったが、
残念ながら、舅は半ばで、姑より先に、逝ってしまった。
私の知っていた姑は、もうやせ細っていて、体も不自由だったが、
いつも機嫌の良い、楽しい「ばーちゃん」だった。
愉快でシュールな会話をして笑い転げたこと、
一緒にテレビを眺めたこと、
ふたりで美味しいものを食べたこと、
・・・それらは、私たちだけの、穏やかで温かい想い出だ。
『メロディー』の途中にある、短い下行音型の繰り返しのところを、
先生が、「いい子、いい子、っていう感じで」と仰ったとき、
可愛かった「ばーちゃん」を思い出して、
私は涙がこぼれそうだった。
「お姑さま」に向かって、「可愛かった」というのは
本当は失礼だとは思うし、元気だった頃の姑になら、
私はそのような「上から目線」で相対することはなかったと思うのだが、
認知症が進んでからの姑は、本当に、大きな赤ちゃんのようだったので、
私は次第次第に、姑の保護者になって行ったのだ。
多分、実の親子でないからこそ、そういう気持ちに行き着いたのだと思う。
よく歩けたね、よく食べたね、きょうもよく頑張ったね。
赤ちゃんとは、まるきり逆の順序で、
最後には、ベッドの中から笑顔を見せてくれるだけになった姑に、
私は、よく、
『いい子だね、本当に、いい子だね』
と頭を撫でてあげたいような気持ちにになったものだった。
限りなくいい子だったばーちゃんは、逝ってしまった。
今はせめて、ばーちゃんの行く道に、
つたないけれども私なりの『メロディー』を贈りたいと思う。