魚住直継&橋本征子2人展 | 転妻よしこの道楽日記

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昨日の夕方、『魚住直継&橋本征子2人展』を観に行った。
16日付中国新聞『油絵や水彩…広島で2人展』で紹介されていた展覧会だ。
魚住氏・橋本氏のどちらも会場にいらしたので、
少しお話を伺うこともできた。

魚住氏のほうは様々なテーマの油絵を出品されていた。
友人たちと私が、
「大きいものだと一点どれくらいの制作期間なのですか」
「抽象画の場合、最初から全貌が見えているのですか、
それとも描きながら決まっていくのですか」
「タイトルは、どの段階で決定するのですか」
等々と、絵を描かない者ならでは(爆)な質問をしたら、
魚住氏が、ひとつひとつ、とても丁寧に答えて下さった。

作品によって、描く前から計算があって最後まで決まっているものと、
描きながらどんどん変わっていくものとの両方があり、
また、絵描きさんのタイプによっても、まず丁寧に下絵を描く人と、
感性のおもむくままにキャンバスに向かう人と両方あるそうだ。
魚住氏の場合も、全体のイメージだけがあって描き始め、
だいたいのかたちが出来上がったところで、
『この感じを、見る人に伝えるにはどういう言葉が合うか』
を考えてタイトルを決める、ということが多いようだった。
全くの計算無しというわけには行かないが、
計算づくで破綻がないというのが、つまらなさに繋がるとしたら、
やはり作品的に成功とは言えない、とも。
一点の制作期間はだいたい、1ヵ月かそれ以上、という話だった。

一緒に行った友人たちはどちらもピアノ愛好家だったので、
「それはピアノを弾くときと同じだ」
という話になった。
弾き始める前に最後の一音まで決まっている演奏もあるだろうし、
弾きながら次々と展開する世界を体験するような演奏もあるだろう。
また、細部まで計算され完成された演奏がみごとである場合もあれば、
感性のままに奔放に弾いたものの躍動感や、危うささえもが、
大きな魅力となる場合だってあるに違いない。

もっと卑近な例だと、私なんかのブログの文章だって、
タイトルも内容も最初から決まっていて、ただそれを書くだけ、
ということもあれば、
書いているうちに枝葉が広がって思いがけず楽しくなる場合もあり、
また、書いてみたら全然違う話になって終わったりもして(爆)、
そうなったらタイトルだって当初の予定になかったようなものになる。

自分の中にあるものをかたちにしていく過程の面白さを
魚住氏のお話から感じるとともに、
芸術という分野でそれを行うときの困難、それに必要とされる情熱、
などについてにも、改めて考えさせられた。

橋本氏の作品は、繊細で可愛らしい水彩画だった。
カントリー調の優しい雰囲気の風景や、お店の様子など、
一部、紙を重ねて立体感も出してあって、
まるで、「飛び出す絵本」と「ドールハウス」が
絵になって一枚の水彩画におさまったような面白さがあった。

私自身は全く絵が描けないし、知識もろくに無かったのだが、
おふたりの御陰で、普段は触れない世界を見せて頂くことができた。
ありがとうございました<(_ _)>。
次の展覧会も、また拝見したいと思いました。

『魚住直継&橋本征子2人展』は
中区紙屋町のウエストプラザで、本日夕方17時まで。
ご興味おありの方は、どうぞお出かけになってみて下さい。