「まったく零点です!」 | 転妻よしこの道楽日記

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マエストロ・ポゴレリチとグウィニス・チェン嬢の話の続き。

有意思的事情---妳這樣彈,根本是零分!(中國時報)

この記事は2007年2月10日付けで、おそらくは公演前か公演当日に、
ジョイント・リサイタルの紹介のために掲載されたものだと思う。
ここを読むと、チェン嬢とポゴレリチ夫妻の、
出会いの逸話を知ることができる。

チェン嬢は、そもそも、ポゴレリチのファンであったようで、
1993年第1回ポゴレリチ国際コンクールに参加したのも、
彼に会いたい一心だったとのことだ。
それがまさか、最高位と10万ドルを得ることになろうとは。

Gwhyneth Chen receiving Grand Prix at Ivo Pogorelich International Solo Piano Competition, 1993

そして優勝後、チェン嬢はロンドンのポゴレリチ邸に招かれ、
そこで夫妻の、とりわけ夫人のアリス・ケジュラッゼの弟子として、
半月ほど、直接にレッスンを受ける光栄に浴した。

苛酷で有名な夫妻でに対して自ら訓練教育』。

拷問部屋での二週間だったかのようだが(((( ;゜Д゜)))、
実際のところは、ポゴレリチ邸にはピアノが複数台あって、
それぞれが個室に置いてあったらしい。

『「私達の1人の1つの琴の部屋、毎日午前7時から9時まで訓練します
──午前9時ではありませんて、夜9時です!その上中間は昼食がなくて、
夕食だけあって、1日中すべて訓練しています」』

ヤリ過ぎだ(爆)。
関係ないが、90年代のポゴレリチがとても肥満していたのは、
昼食を抜いたのがアダになり夕食を食い過ぎていたのでは(逃)、
などと私は思った。すみません余計なことでした。

それはともかく、チェン嬢にとって、このときのことは、
今も鮮やかに記憶に残っているそうだ。
優勝の直後ではあったし、とりわけ熱心に練習して、
誉めて貰いたいと思って臨んだ初回レッスンで、

「意外にも私を聞いて弾き終わって、彼女の第ひと言で言うとつまり
──『お姉さん、あなたはこのように弾いて、まったく零点です!』」

そういえばケジュラッゼ女史は、ポゴレリチ18歳時の初対面でも、
その演奏を全否定する感想を直接本人に言って激怒させた、
という逸話があった(それで結局、結婚しちゃったんだから世話ないが)。
そうやって生徒の目を覚まさせ、その情熱に火をつけるのが
教師としての彼女の、腕の見せどころであったのかもしれない。

『「彼らは双方に対して愛して、音楽の信念と演奏に対する紀律、
陰ですべて鋼鉄の意志です。
あのようなは完璧な精神を求めて、
すべての物事まで(へ)続けて使うことができます。」』
『「指の効き目、きわめて重い最後の会成は軽くなりますまで(へ);
音楽の解釈、しみじみととてもところが非情です。
対立は決して解け合ってはいけなくありませんのではなくて、
ことに成功して、激しく揺り動かしだす火花は
すべてを明るくすることができ(ありえ)ます。」』

残念ながら、彼女が何を学んだのか私には定かでなく、
時々出る「へ」も、あまりよろしくないように思うが、とにかく、
彼女の得たものは、技術面での向上だけではなかったことが伺える。

このあと、ケジュラッゼ女史が癌で亡くなり、
ポゴレリチは茫然自失の日々で、何年も演奏から遠ざかったが、
2005年のポゴレリチの台湾公演の折りに、
『陳毓は襄をして久しく顔を合わせていない恩師と再会するだけではなくて、
同じく彼に自分の成長と進歩を見させます』。

進境著しいチェン嬢の演奏はポゴレリチを大いに喜ばせた。
『外な喜びのあまり、波哥雷リッチーは有史以来初めて
むだにコンサートを相当し始めることを決定して愛して、
全世界に彼と妻の最大の音楽の発見を紹介します。』
無駄に大袈裟なのはさておいて(^_^;、
ともあれポゴレリチは、自分の見出したチェン嬢とともに
ジョイント・リサイタルを開くことにした。

『波哥雷リッチーはどのように彼の沈殿物の後の収穫が現れますか?
陳毓は襄をして恩を受ける師の学習の成果を継ぐことができますか?
今回、全世界はすべて期待しています』

世界の中心で師弟愛を叫ぶような文章だが(^_^;、つまり、
夫人亡き後のポゴレリチがどのような演奏をするかということと、
ポゴレリチの一番弟子であるチェン嬢が、今後、
彼の芸術を直接に受け継ぐピアニストとしていかに羽ばたくかが、
今、大いに注目されている、ということのようだ。