午後、主人は、いつものように寝そべってテレビを観ていた。
画面に映っていたのは、彼好みの、次々と殺人の起こる番組で、
真野あずさが弁護士に扮して、事件を追って行くシリーズの、
何ヶ月か何年か前の再放送ドラマだった。
毎度のことながら、出演者一覧を見れば、誰が死んで誰が犯人、
というのは主人には既にわかっているので、
それほど真剣に筋を追っていたわけでもなかったのだが、
しばらくして、台詞の中で繰り返し言われる「姫路」という地名の
アクセントがどうにもおかしいと、主人が悶絶し始めた。
夫「なんで、こいつら、ヒィめじ、って言うん?三人とも言うで?
おかしいやん、アクセント、要らんのちゃうん?」
私「地元民の発音と放送共通語アクセントは、異なるのだ」
夫「なんで?なんで?」
私「東京アクセントにないパターンの上がり下がりは、
共通語では、許されないのだ。そういう例は、多いのだよ」
夫「菅井きんまでヒィめじ、って言うんじゃもん。
『ヒィめじに行ったら』とか。行かんでええわい、そんな変なとこ」
神戸勤務をした主人の感覚は、ある意味正しいのだ。
関西人、とくに兵庫の人で、姫路(ひめじ)を
「 ̄__」のアクセントで発音する人は皆無だろう。
これは関東人を中心とする、部外者だけが使うアクセントなのだ。
地元の人ならこれは「 ̄ ̄ ̄」と一定の高さのみで発音する語だ。
(参考:道浦俊彦◆ことばの話795「姫路」)
放送の分野で言う共通語のアクセントというのは
東京式アクセントをもとにした、それなりの法則があって、
これは地名や姓名などの固有名詞にも適用される。
そのため、地元の人たちの発音の仕方と、
共通語でのアクセントが異なる、というのはよく起こるのだ。
『前橋』とか『名古屋』とか『苫小牧』もそのような例だと思う。
地元民の感覚からすると理不尽なことだが、
共通語の基礎になっているのが東京方言である以上、仕方がないのだ。
そういえば、思い出したが、私は学生のとき、
例によって不自由きわまる英語でアメリカ人と会話していて、
『広島では』と言おうとして、「イン・ヒロシマ・・・」と言ったら、
「ノウノゥ、イン・ヒロシーマ」と直されたことがあった。
ちょっと待て(--#)、と思ったものだった。