生気のない別荘になった舅宅 | 転妻よしこの道楽日記

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結局、庭掃除は第5回まで連日、開催した。
裏までだいたい草を取ったので、随分見られる庭になった。
のびた枝を切りそろえる剪定の真似事もやった。
ついに、見よう見まねで庭師までやっちゃいましたよ、おとーさん。
・・・舅の大事な木も一緒にボウズにしていたら、だうしやう(^^ゞ。

が、午後、久々にマンションに戻り、
パソ太を起動しネットに接続してニュースを読んでみたら、
なんと、明日から台風が接近すると言っている(T.T)。
風雨で庭は再び荒れ放題、私の苦労は、文字通り水泡に帰するのか。
いや、切り倒した雑草や雑木たちが蘇るわけではないから、
私のやったことが全部、無駄になるわけではないよな(T.T)?

それにしても、家というのは不思議なものだと今回は改めて実感した。
人が住まないと、家は傷むということがよくわかったのだ。
我々なんかが居たら、汚すだけでロクなことがないので、
せめて居ないほうが、家はそのままの状態が保たれて良いのでは、
と当初は思ったものだったが、舅が亡くなってこうして一年になると、
舅の家は、なんだか全体にくすんで来て、庭だけでなく、家の中まで、
どことなく荒れた感じが漂うようになった。

私なりに、姑の特養まで出かけた帰りには必ず舅宅にも寄って、
掃除をしたり、カーテンを付け替えたりして、
たまには手入れもしているつもりだったのだが、
家が必要としているのは、そんな上っ面のケアではなかったのだ。
今や、舅宅は、家全体の醸し出す雰囲気が
去年までとは大違いになり、表情を失ってしまった、と思う。

それでも、この一週間、我々がいて、毎日灯りをつけて掃除をして、
煮炊きし、洗濯をし、食事して、喋ったり、動き回ったりしていたら、
家は、少しずつ元気を取り戻し、明るくなったように思えたのだが、
多分、来月の一周忌法要までには、まただんだんと、
よどんだ感じに戻ってしまうのだろうと思う。
何年も人の住まなくなった廃屋が、最後にはオバケ屋敷めいて来るのは、
家が人間の生気を与えられなくなり、ついには死んでしまうからなのだと、
最近はつくづく思うようになった。