狭量な わたし | 転妻よしこの道楽日記

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以前も書いたが、私はテレビが本当に嫌いだ。
特に民放は音がけたたましく甲高いのが多いし、
外国語放送でもないのに余計な字幕が多くて目が疲れるし、
もう、テレビの発散するものすべてが、私の神経を逆なでする。

まだしも神経に障ることが少ないのは、
NHKのニュースとか、教育テレビとかだが、
これらは観なくても困らないものがかなり多いから、
結局のところ、私はテレビを今すぐ捨てても、全然構わない。

「今のままなら、十年後にはテレビは無くなる」
と確かホリエモン氏が言っていたと思うが、
私はこの点でだけ、彼を大変好ましく思っている。
フジでもどこでもいい、とにかくやかましいだけのテレビ局など、
ひとつでも多く、早く葬り去って貰いたいものだ。

ついでにネットとテレビが合体するなんてのは大反対だ。
私がここまでネットを活用できるようになったのは、
音よりも、文字や画像がメインとなる媒体だったからだ。
今でも私のパソコンは音が一切、出ないようにしてある。
頼みもしないのにMIDIが鳴り出すサイトに閉口して以来、
こっちから遮断することにしたのだ。
私は、自分で選んだ音楽だけが聴きたいのであって、
あとのすべては耐え難い雑音だ。

私がこういう偏屈なことをわざわざ改めて書くのは、
今、まさに家族の観ているテレビで、ひどく迷惑しているからなのだ。
連休で、主人も娘も家に居るので、とにかく一日中、
テレビががんがん鳴っている。
彼らは私とは異人種で、テレビが大好きだ。
テレビの音がするだけで、明るい気分になれるらしい。
私は彼らの楽しい休日のために、ひたすら、黙って耐えている。
家が狭いから逃げようがないし、耳栓するのも嫌味だし。

前に、何かの性格診断みたいな記事を読んでいたら、
「朝起きてすぐテレビをつけるのは、抗ストレス度の低い人」
という項目があった。
ストレスに弱い人は、静寂の中で自分の心と向き合うことが出来ず、
テレビの音で、その緊張感を紛らわせて貰わなくてはならないのだ、
というのがその説明だった。

だが私に言わせると逆だ。
私こそ、ストレスに弱く、物事の許容範囲が狭く、気難しい人間だ。
だから、ちょっとした雑音にさえ耐えられず、神経質に苛立つのだ。
狭い狭い自分というものの中でしか、調和を保てない人間だから、
それを乱すテレビ(及び騒音)を許せないと感じるのではないか。

「我が家では食事時にテレビは観ません」
などと得々として語る人がときどき居るが、
私の感覚ではそんなこと、自慢するに足るような立派な話ではない。
むしろ、ちょっとテレビが鳴っていることさえ我慢できない、
神経質な一家です、と告白しているように聞こえるくらいだ。

ちなみに、十分に想像し得る話だが、この世の中には私と逆で、
テレビがないと生きられない、というほど、
テレビをこよなく愛している特異な人種が存在する
(「特異」は私か(^^ゞ)。
絶え間なく音がしているところで精神の平静を保てるなんて、
私からすれば羨ましいくらいの逞しさだとと思うが、
御本人の悩みはそれなりにあるらしい。

テレビを観ない生活をするには(教えて!goo)

『毎日起きてから家にいるときは寝るまでテレビを観ています』
と、この相談者は言う。
とにかく四六時中、観たい番組があるのだという。
だがそれはさすがに、テレビに支配された生活ではないかと感じ、
どうしたらテレビを観ないでいられるようになるかと考えている、
というのが、この人の、切実なる相談の内容だ。

だが私は、この人に言うべき言葉を持たない。
だって、食物の好き嫌いに等しいくらい、
この人と私とでは、音に対する感覚が違うと思うからだ。

『テレビをほとんど観ないという人がいますが、
それはどういう理由からですか?』
私の答え:テレビの出す音がうるさくてうるさくて耐え難いから。

『テレビを観ないなら
他にどのような過ごし方をしているのか教えて欲しいです』
私の答え:家族の留守にはテレビを消して、静かな静かな部屋で、
ひとり、限りなく和んでいる。収縮期血圧が軽く20は下がっていそう。
その他、本を読んでもいいし、パソコンで遊んでもいいし、
語学をやってもいいし、昼寝してもいい(爆)。
テレビに邪魔されなければ、私にとっては、
あらゆる用事がすべて私の思い通りのペースではかどる。

あああああ。
これから春休みだ。この騒音公害に、半月は耐えなければならない。
デリケートな私(爆)には、精神修行月間となるであろう。