お蔵入りしている雛人形 | 転妻よしこの道楽日記

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昨日は雛祭りだったのに、結局、我が家は雛人形を飾らなかった。
娘の初節句に、実家の両親から親王飾りを贈られたのだが、
狭すぎる官舎にはハバってどうしようもなく、
数年前に結局、「預かっておいてくれ」と実家に送ってしまった。
両親も官舎の実態を見て、納得してくれたようだった(^^ゞ。

実は、あまりにも、あまりにも親不孝だと思うのだけれど、
この、両親が買ってくれた雛人形というのが、
懲りすぎていて、私は本当のところ、気に入っていない。
私は、正直に言って、普通のお雛さんが欲しかった。
小さいのでいいから、どこにでもある、
誰もが雛人形と聞いて普通にイメージするようなものが、
私の憧れだった。
なぜなら私だって、そんなものは持っていなかったからだ。

ところが、うちの親は変なところで趣味のある人々だった。
彼らは、孫娘には選り抜きの雛人形を贈りたい、と考えてくれた。
そんじょそこらの、ありきたりの人形ではなく、
誰でもが選ばないような、何か特徴のある人形を、と。

で、両親はさんざんあちこちを回って、最終的に買ってくれたのが、
なんとかいう名工??の作品の、木目込人形だった。
狭い官舎にはどちみち段飾りのたぐいは入らないから、
親王飾りだけど一応フンパツした的なことを母は言っていた。

はい。ありがとうございます。このように上等の品を。
私は内心の落胆をおくびにも出さず、押し頂きましたとも。
親思う心に勝る親心(by吉田松陰)。

長年生きてきて、自称「目の肥えた」両親からすれば、
きっと、それなりに逸品、という雛人形だったのだろう。
確かに、デパートやオモチャ屋でばんばん売られている品とは違う、
という意味では、あの二人だからこそ選んだくれたものだったと思う。
だが申し訳ないことに、私にはそんな前提は全然無かった。
私の思う雛人形は、新聞のチラシのいちばん最初に載っている、
いかにもな、そこいらにいくらでもある、典型的なヤツだったのだ。

これって、なんていうか、年季の入ったヅカファンが、
ベルばらだけは、初心者には見せたくない
などと個人的審美眼を発揮するのと同じだと私は思った(爆)。
確かにベルばらは、内容的には陳腐な作品かもしれない。
いかにもなクサい台詞を次々と並べただけとも言えるし、
豪華そうなのは上辺だけ、原作の香りからは程遠い、
という非難があるのだって、さんざん見た今の私には頷ける。

だが、プロ?のお眼鏡にかなわなかろうと、いくら下らなかろうと、
ヅカ=ドレスと思い込んでいる者には余計なお世話なのだ。
ヅカと言えば「ベルばら」、見たいのはこれだけなんであって、
シブいスーツものなんかだと、どうもヅカ観た気がしないんである。

観劇歴の長い人間がこれならばと評価するような「質の高い」作品は、
いわば、見るだけ見てそういう境地に至ったヒトならではのもので、
「ケバい化粧と輪っかドレスで『オスカル様ーー!!』、が観たい」
という興味で宝塚を捉えている人間を相手にするときは、
宝塚の真髄はそんなものではないと説いたって、ぶーの耳に念仏。
オスカル様を観ないことには、ヅカ観たことにならないんだってば。

宝塚って一年中ベルばらやっているのかと思ったのに
という感想になるのと同じく、
私も、雛人形って言ったらチラシで見るようなヤツが出て来ると、
それしかイメージしたことがなかったよ(T.T)。