先日、我が家の殿下の通う学校の美術のクラスで、ゲストスピーカーとして話をしてきました。ピアノばっかり弾いているような私ですが、実は本職はアートに関わる仕事です。その側面から、私の仕事とその専門である版画について話をしてほしいとのこと。英語でこの手のことを受けるのは、なかなか骨が折れるので、どうしようかと思いましたが、私が社会に貢献できる数少ないことの一つだと思い、依頼をうけさせていただきました。

 

さて、小学校4年生の子供20人に向かって、美術の話をします。その中で私の専門である日本の木版画について、ビデオを見せながら説明をしたときのこと。ビデオの中でその高度な技術を披露する木版画の彫師について、子供たちから色々な質問を受けました。「一日でどれくらい彫れるのですか?」「どれくらい修行したらこういう風になれるのですか?」「日本には何人ぐらいこのレベルの彫師がいるのですか?」などなど。その一つ一つに答えていく私。

そして、一人の子供がこう言いました。

「この人は一日にいくら稼ぐの? How much money does he make a day?」

思わず、「Money?」と聞き返してしまった私。

「Yes, Money!」にこやかに「そうだよ!お金。」と返す彼。。。

全ての力が抜けていくような、気力が抜き取られるようなそんな瞬間でした。

Artisans(職人)の給料は、その技術レベルによるものであること、レベルが高くなればそれなりに稼げるということを一応説明はしてみたものの、やっぱり一言付け加えました。

「Artisanは、お金のためだけに仕事をしていないと思うよ。自分のプライド、自分がどこまで技術の限界に近づけるか、自分の技術をどこまで高められるか、そういうことのために仕事をしているのよ。これは芸術だから。お金だけでは測れない領域のことなのよ。」と。

その子は、「ふーん。」と言い、それ以上は質問してきませんでした。

 

10歳の子供が、アートのクラスのゲストスピーカーに「この人一日いくら稼ぐの?」と聞いてしまう。これぞまさしく物質第一主義、拝金主義のアメリカ社会の縮図。その子供(台湾系中国人)の家では、日常的に彼の両親が仕事とお金を結び付けて話をしていて、子供たちにも「お金を稼げる仕事をしなさいよ」と言っているのだろうと、彼の家の食卓風景を想像してしまいました。

 

「高所得=良い仕事」という方程式がある人には、芸術に関わる仕事はできないと思ってしまいます。美術でも音楽でも、それに携わる人はいつも自分がどれだけ真の芸術に近づけるか、真の芸術家になれるか、それを考えて努力をしているから。もちろん生きている間に高く評価されて、高収入を得るチャンスに恵まれることもあるかもしれませんが、それは珍しいことかもしれません。もちろんお金が無ければ何もできないのですが、「一日いくら稼げるから、芸術に携わる」わけではないのだと私は思います。

 

芸術が人の心をうつのは、それが作り手の心を削って作られたものだから。作り手が更なる高み(神への領域)を目指して、自分のすべてを注ぎ込んで作ったものだから。

株の売買や投資などとは違うのです。

 

先日のリサイタルの後で、M氏が私に言った言葉。

「今日は音楽に近づけた気がしたよ。少しだけだったけどね。その瞬間のためにまた練習しなくちゃね。」

これぞ、楽聖の言葉です。

「きれい事を言って!」と言われてしまうかもしれませんが、それでも私はそう思いたい!

 

 

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