葛城育郎 | 妻との死別~再生

妻との死別~再生

21年間連れ添った妻との突然の死別。
長女の県外の大学への進学も重なり、家族4人の生活から息子と2人だけの生活に。
会社と家の往復の毎日。会社でも家でも仕事に追われるなかでのふとしたつぶやきです。

アクセス解析を見ると、「オリックスファン」で検索して来られた方がいた。

だから、というか、今日はまた野球ネタ。


僕はアンチ阪神なので、本来あまり話題にしたくはないのだが、早くもペナントレース独走といった今年の阪神。

おとついの試合では、葛城育郎選手がプロ入り初のサヨナラ安打を放ち、甲子園のお立ち台に立った。


葛城選手は2003年のシーズンオフに、牧野塁投手とともに、当時阪神の斉藤秀光選手、谷中真二選手との2対2の交換トレードで移籍した選手だ。オリックスでは背番号3、和製大砲として大いに期待を集めていた将来の主軸候補だった。

甘いマスクに加え、出身は岡山で、大学は立命館という共通点もあり、僕の思い入れも大きかった選手だ。息子ともども葛城Tシャツを着て、僕はお手製の「燃えろ!立命健児 葛城」ボードを持参して応援していた。


一度、神戸のスカイマークスタジアム(当時はヤフーBBスタジアムだっけ)で、葛城選手のお父さんに声をかけていただいたことがある。

その日の試合は投手陣が打ち込まれ、いいところない完敗だったのだが、葛城選手はホームランを放ち一人気を吐いていた。負けはしたが、葛城選手もバッティング好調を維持しており、そこに光明を見出して気分よく帰ろうとしていた。

たしか、息子と二人で、オールスター出場選手の投票記入をしていたとき、お揃いで葛城選手のTシャツを着込んでいた僕たちに、後ろから声をかける人が。

「お揃いでTシャツまで着て応援してくれているんですねぇ」

振り返った僕たちに、「育郎は私の息子、私は育郎の父親なんですよ」「今日は育郎は初めて目の前でホームラン打ってくれましてね」

お父さんもやっぱり嬉しかったんでしょう。「今日はわざわざ岡山から?」「僕も岡山出身で、立命館なんで応援してますよ」っていうような話をして別れた。


シーズンオフに明石の朝霧駅前で行われたイベントでは、息子は葛城選手と二人で餅つきをし、ファンと選手の合同パーティでは三人で写真を撮らせてもらった。

サイン入り帽子にサイン入りジャージ、サイン色紙にサインボール。

もうオリックスの選手ではなくなってしまったけど、全部大事に置いている。

着ることのなくなった葛城Tシャツもタンスにしまったままだ。


背番号3は、その後FAでダイエーから移籍してきた村松選手が着けている。村松選手も大好きな選手だが、オリックスの背番号3は、僕の中ではいまだに葛城選手だ。