「春の小川」
新しい環境やら新しい関係が展開の春、
張り詰めてたものがはじけて、
喉が痛くなる惨事に見舞われた。
ただの風邪。
同じ機種を持つ祖父とこの前、
携帯電話をいじりもって、
録音機能を伝授した。
そのときの録音が、
祖父の童謡「春の小川」の歌声である。
10秒しか録音できないので、
「春の小川はさらさらいくよ」のワンフレーズのみ。
最近しんどいときにこれをきくと、
人生のたいがいのことは
たいしたことない気がしてくる。
あら不思議、
寿、長寿、蓑亀、寿老人様などが、
ホログラフィー化されて目の前に。
家族の活動写真や音源は、
どこかへ行ったときのイベント的なものより、
日常のデータのほうが、
後々楽しめる。
小学校のころ、
留守番電話のなんらかのボタンを、
誤って誰かが押したことによって、
朝のひとときが録音されていることがあった。
トロトロ朝食を食べていたり、
ぼけ~っとしていて起こられる
弟と私がそこにはあった。
あれ、
もうほかしたのだろうか。
朝の目覚ましの音源にしたい。
<蛇足>
なんでソモソモ「春の小川」かってぇと、
その日の晩御飯の、
「いづ重」のお寿司の熨斗紙に、
歌詞が書いてあった故。
「いづ重」は、
八坂さん前にあるお寿司屋さん。
ここの「大人のいなり」が私は好きだ。
なんでアダルトかというと、
昔はからし入りだったので、
子どもには食べられん、
大人のおいなりさん、
というワケらしい。
でも現在は、
九条ねぎを焼いたものと山椒の粒々が売りの、
普通のおいなりさん。
名前に過去が残るだけ。
おや、
書いててヨダレ出てきた。
よよよ。
哲学的な小津
観てない小津作品を、
かたっぱしから観たおそうと急に思い立って、
『秋刀魚の味』を観た。
意味を反芻するような会話がすばらしい。
父 「(うちの娘は)まるで色気がないんだ」
父友人 「あるよ、十分ありますよ、あるんだ」
父 「そうかなあるかな」
父友人 「あるある」
なかなか話は進まないけれど、
進まないからといって
停止しているわけではなくて。
素敵だ。
この類の会話は、
ほかの小津作品にも見られる。
例えば『東京物語』
父 「そうかな」
母 「そうですよ」
父 「そうかね」
母 「そうですよ」
そういえば、
かつて村上春樹が、
ドイツのホテルでなんとはなしに
吹き替え版の『東京物語』を観ていて
哲学的雰囲気に驚愕したと
エッセイに書いていた。
「そうであるのだ」
「そうであること然りか」
「然り」
「然り」
といった温度になっているそうな。
実際、
ドイツ語版の
"Die Reise nach Tokyo"観てないから、
本当のところどうなのか
私はわからない。
でも、
なんとなくわからなくもない。
ドイツ語はなにを話しててもオカタサが見えて、
ひれ伏してしまう。
ハハーッ。
なんにを語ろうにも哲学的であるようで。
Keine Gegenstaende aus dem Fenster wegwerfen!
(窓から対象物をなげるべからず:
窓からモノをなげちゃだめ!)
Das neue Cafebietet Ihnen eine neue Dimension.
(新たな次元の新しいカフェ:
これまでとはちがった新しいカフェ)
とにもかくにも、
小津の作品は色彩感覚がすんばらしすぎる。
濃淡のあわい、ありゃ小津巨匠にしか出せまい。
(厳密にいうと、
小津の指示に忠実な照明係のスタッフの巧も
忘れてはなるめえ)
やはり小津は小出しにちょろちょろ観てゆこうと、
改めた次第。
モツタイナイ!(マータイさん読みで)
新生活祝いに、
是非とも小津DVD集が欲しい。
求めよ、さらば与えられん?
『秋刀魚の味』から以下、色の妙
いいわあ。
こんなみんなオサレな団地があったら。
笠さんはいい。
日本の父親の哀愁を一身に背負うプロトタイプ。
環三千世のキモノがまたいい!
特に帯。シマってる。
この色あわせ、ポップすぎる。
最後に、
中井貴一はお父上に似てこられたなあ。
しみじみ。
この作品、
ノンクレジットで森英恵も参画していたそうで。
モード屋が選ぶ日常服は、
モードであってモードでない、
ふしぎなあわいのセレクト。
パチンコに行った。。。
パチンコ屋さんに行った。
タバコ臭が苦手なのに、
珍しいこともある。
なんだかわからないけれど、
光っている穴に玉を入れればいいのかな、
なんて程度の構造理解しか
持ち合わせてはいない。
でも、
入り口をくぐったときから、
絶対当たる気がはしていて。
直感。
どうにか光るっているところに
あんじょう玉が入って、
いっぱい玉が出てきた。
あれよあれよと溢れるのですが、
そこは機転のいい店員さんが
プラチックのケースを持ってきてくださった。
次はスロットマシンをしてみようとおもい、
ハンドグリフを引くと、
イチゴの絵と共に描かれた「い」、
イチゴの絵と共に描かれた「い」と続いた。
次もイチゴ!と念じたが、
うなぎの絵とともに描かれた「う」。
無念。
初めて来たとはいえ、
玉を交換してお金を頂く場所は
別の小屋だということは、
社会のギャンブル法事情のようなものを
耳にしていたので知っていた。
いくらぐらいもらえるのか
わくわくしていたのだが、
玉の入ったケースを抱えているところで、
覚めた。
パチンコ屋さんに行った。。。夢だった。
うすうす、
スロットマシンをするあたりで、
こりゃ夢だなとはかんじていた。
だって、
スロットがボール紙でできたみたいに
へもへもでなんだもの。
そんな箱のなかを、
トイレットペーパー的な紙のロールが
回転するんだもの。
パチンコに行ったことがないので、
パチンコやスロットの構造は、
ほぼ、大空テントのネタから生成したように思う。
友人と涅槃画を拝み、
コラボ作品を検討した日にこれである。
共同制作の行方やいかに!
ユングに詰め寄りたい。
実は、夢の話には続きがあって、
目覚めて近くに携帯電話があったので、
今何時やろと思ってみたら、
3:34だった。
「おしい!」と思った次第。
ちなみにこの日、
お寺さんで頂いた涅槃のオカキをみて驚愕。
花供曽(はなくそ)。
お供えのお餅をオカキにしたものだが、
色もカタチもソレっぽい。
極楽寺、すごいお寺だ。






