市民ケーン その46
チャールズ・フォスター・ケーンのモデルとなったウィリアム・ランドルフ・ハーストについても触れておきたい。
彼の名前は昔から知っていたけど、その生涯を知ったのは遅くて2000年(平成12年)12月3日に日本テレビの「知ってるつもり」でハースト一族を取り上げたときだった。この番組から得た情報を中心にして彼の生涯の軌跡を紹介したい。
1848年にカリフォルニアで金鉱が発見されたことをきっかけにゴールドラッシュが起きた。ミズーリ州で農場を営んでいたジョージ・ハーストも一攫千金を狙って、1850年10月に農場を売り払って山師となった。これがハースト一族の運命を変えていった。ジョージが二束三文で手に入れた鉱山からアメリカでも最大規模の銀の鉱脈が見つかったからだ。
1863年(文久3年)4月29日にジョージに息子が生まれた。この子がウィリアム・ランドルフ・ハーストだ。ジョージには他に子供はいなくて、銀の鉱脈が生み出す財力で彼は何不自由なく育っていった。だがその家庭は必ずしも温かくはなかった。父親のジョージは49歳、母親のフィービは25歳で年の差は24歳もあった。無学でろくに字を書くこともできず、仕事にかまけて家にあまり寄りつかなかったジョージと元は教師だったフィービが心を通わせることはなかった。番組でハースト一族を取り上げたときに、ジョージとフィービが結婚した経緯などは紹介されなかったので、どうしてこういうカップルができたのかはわからない。
息子を夫のような無学な人間にしてはいけないと考えたフィービは、ウィリアムの教育に金をつぎ込んだ。厳しく教育する反面、息子が望めば母親は何でも買い与えた。いつしかウィリアムはそんな母親に依存するようになっていった。
息子を教養ある文化人に育てようとしたフィービの意向で、1872年(明治5年)に1年半にも及ぶヨーロッパへの旅行に連れて行った。ルーブル美術館を訪問したときにウィリアムは「この美術館を買ってくれ」とねだったというエピソードが残っている。9歳の子供にとって金は無尽蔵にあると思い込んでいたのだろう。



