NHKスペシャル「玉砕 隠された真実」 その1 | 岩崎公宏のブログ

NHKスペシャル「玉砕 隠された真実」 その1

毎年8月になると戦争を取り上げた番組がテレビ各局で放送される。「戦争の悲劇を風化させてはならない」という紋切り型の表現が頻繁に使われている。敗戦から65年が経過して日本人の大半が戦後生まれになったにもかかわらずこの状況は変わることがない。太平洋戦争の敗戦が日本人に与えた衝撃がそれだけ大きかったということだ。

8月に放送された戦争関連番組の中から12日の午後10時からNHKで放送された「玉砕 隠された真実」を取り上げたいと思う。

番組の冒頭で「玉が美しく砕けるように名誉や忠義を重んじて潔く死ぬこと」という「玉砕」という言葉の意味が画面に表示された。

アラスカのアンカレジから小型飛行機に取材班が搭乗してアッツ島に向かう様子が映された。6時間のフライトで67年前に日米の激しい戦闘がおこなわれ、現在は軍事上の理由から立ち入りが制限されている絶海の孤島であるアッツ島に到着した。

この島を守備していた約2,600名の日本軍は1943年(昭和18年)5月に全滅して、太平洋戦争中初めて「玉砕」と発表された。当時の大本営発表である「アッツ島守備の我が部隊は敵米軍と血戦二旬(20日間)遂にことごとく玉砕しました。山崎部隊長はただの一度でも、一兵の増援を要求したことがない。後に続く者を信じて、心残りなく笑って悠久の大義に就いたのであります」という音声が流れた。その音声に合わせて画面にはアッツ島を攻撃した米軍が撮影した日本兵の遺体の映像が映された。続けて日本国内でおこなわれた戦死した兵士の慰霊祭の映像が映された。1943年(昭和18年)9月29日に札幌の中島公園でおこなわれたアッツ島守備隊兵士の合同慰霊祭だ。

兵士の死を玉砕という言葉で発表した大本営。その背後には隠された事実があった。作戦の遂行のためには兵士の命を切り捨てる、こうした考え方がアッツ島以前から蔓延していた。

NHKが入手した大本営参謀だった富岡定俊の証言記録を記載した書面が提示された。「敗残兵になったら死んでしまえというのは当たり前じゃないか、薬ひとつねだってもいけない」と書かれていた。

アッツ島の玉砕を契機に兵士の死は美化されて、大本営は繰り返し玉砕を報道していった。「ああ、なんたる荘厳、なんたる壮烈でありましょう、生きて虜囚の辱めを受けず、あの戦陣訓をそのまま実践したものであります」という当時の大本営発表の音声が流された。

今回の取材で見つかった玉砕の報道方針を記した内部資料には、兵士に死ぬまで戦うことを求めた戦陣訓を国民にまで理解させるという狙いが記されていた。