東京裁判  (日暮吉延著 講談社現代新書)   その4 | 岩崎公宏のブログ

東京裁判  (日暮吉延著 講談社現代新書)   その4

D・マッカーサーが裁判についてどういう考えを持っていたのかも記されている。当時の人には東京裁判とマッカーサーの姿が重なっており裁判の事実上の主宰者であるかのような印象を抱いていたけど、彼は国際裁判方式には反対だったそうだ。日本占領を成功させるために穏健かつ迅速に裁判を済ませたかったこと、事後法と批判される国際裁判方式では他の占領政策にも影響が出ると考えたこと、南北戦争後に南部に怨恨感情が強く残ったことを知っていたこと、山下奉文の裁判のように自分の手で迅速に法的にも安全に裁きたかったこと、などがその理由だ。しかし陸軍省が彼の考えを認めることはなかった。

各国の裁判への思惑も書かれている。イギリスは戦時中には国際裁判方式に反対していた。法律論議や歴史論議で長期化する可能性があり、ドイツに宣伝の機会を与えると考えたからだ。しかしドイツが降伏したあと方針を転換して国際裁判に同意した。その理由は記されていないけど、アメリカの説得があったか、その要求の屈したということだと私は推測する。ドイツの戦犯裁判で手一杯だったイギリスは日本にまでは手が回らず、「アメリカ人に仕事の重荷を負わせる」ということを重視した対応を採用した。

オーストラリアは日本の懲罰に熱心だった。戦後の国際社会での地位と発言力を高めたいこと、日露戦争以来、根深い対日恐怖があったので、日本を軍事的に無力化したかったことがその理由だ。昭和天皇が安泰だと日本人は絶対に変わらないと考えて天皇起訴して有罪にすべきと主張した。

フランスは仏領インドシナ(現在のベトナム)の植民地以外のアジアの問題に無関心だったけど、東京裁判参加と自国のBC級戦犯の裁判には力を入れた。戦後の国際社会において大国としての威信を回復したかったこと、自国の植民地を奪った日本への懲罰を望んだこと、日本が仏領インドシナを占領したあとのフランス人への残虐行為を行った日本人への処罰を望んだことが理由だ。

日本占領の最高政策決定機関として1946年(昭和21年)2月26日にワシントンで極東委員会が発足した。アメリカ、イギリスなど11カ国で構成され、この国が東京裁判の構成国となった。4月3日に極東委員会で天皇不起訴が決定した。オーストラリアやソ連もこの時点でようやく天皇不起訴に同意した。