自死した霊が彷徨う理由
朗読動画更新の案内である。
タイトルは「ひとりでに鳴るピアノ」
「心霊小品集」翻訳編の最後の物語である。
タイトルからして、よくある心霊話の予感がするではないか。
物が動いたり、音が鳴ったり、、、それが霊の仕業だとして、そこには何か理由がある。
闇雲に怖がったりするのではなく、霊の話を聞くことができればいいと思うのだが。
そんなことができる人は限られた人だけだ。
何年も彷徨っている霊となると扱いも難しいように思う。
この物語の霊は、自死したことが理由で彷徨う羽目になってしまった。
ある本に、自死した霊は本来の寿命まで彷徨うと書かれていたことを思い出した。
人間は生まれる時に寿命が決められている。
例えば80歳で寿命を迎えるはずだった人が、20歳で自死したとする。
産土の神様はその人の寿命が来て初めて迎えに行くことができるため、20歳で亡くなっても迎えに行くことができない。
本来の寿命の80歳を迎えるまで、40年間宙ぶらりんの状態で幽界に居続けなければならないということだ。
前に進むことができず、想念だけが止まっている。
その人の心の状態にもよるが、人によってはかなり苦しいのではないのか。
自死するということは、つまり何らかの苦しみから逃げたいという気持ちがあるだろう。
だが、死んでも肉体がなくなるだけで、想念は残る。
あれっ、気が楽になると思ったのに、どうしてまだこんなに苦しいのだ?となる。
生前、死後の世界について否定的であったなら、なおさら苦しむことになるだろう。
それが、いわゆる地獄でもある。
そういった彷徨う霊を惑わす悪霊たちもいっぱいいる。
悪霊の中には、元はそういった彷徨う霊だった人もいるのだろう。
物語に登場する霊は、死=肉体の死であることを知っていたが、生前から知っていたのか、死後に自身で気付いたのかは不明だ。
ただ、霊になってからの気付きはなかなか難しく、かなりの年月を要するらしい。
素直な人ほど、気付きは早いのではないかと推測する。
朗読動画『帰幽後の一仏教信者』『帰幽後の一キリスト教徒』を聴いていただけると、なんとなくその辺が理解できると思う。
物語の霊が自死に至った理由も、視点を変えれば、ある意味今でもよくある話だ。
死後、この世に未練を残すことは良くないが、この世の人が亡くなった人に未練を持ち続けることも、当然良くはない。
未練というのは、過去に想いを残していることで、今を生きてはいない。
お互いに今を生きる、つまり本当に生きることが重要だ。