映画『八つ墓村』を連想させる葬儀体験 | Over60 ココなつ♪ブログ

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  強烈な葬儀の思い出

 

両親は同郷で、両祖父母の家は日本海の離島。

 

現在は、両祖父母とも皆他界している。

 

両親は母の定年を機に生まれ故郷に帰った為、私の今の実家はその離島だ。

 

信号機がなく、もちろんスーパーやコンビニなんてない。

 

海がしけると一週間以上も食料が届かないこともあるため、各家庭に冷蔵庫並みの冷凍庫は当たり前のようにある。

 

朝刊が届くのも朝一番のフェリー到着後なので、大体昼前だ。

 

ド田舎なことは重々承知。

 

だが、、、

 

母方の祖父が亡くなり、初めて田舎の葬儀を体験したときは流石に「マジか?!」と驚いた。

 

確か映画『八つ墓村』に似たような葬儀のシーンがあったようななかったような。

 

映画を観て確かめたかったが、動画配信しているところはなかった。

 

当時、私は確か30代だったように思うが、田舎はまだ土葬だった。

 

円柱形の樽のような木枠の中に、祖父は膝を抱えて座るような形で入れられていた。

 

白装束に頭には天冠(三角の布)が着けられていた。

 

それがとても印象的だったため他のことはあまり覚えていないが、おそらく死装束の手甲や脚絆もつけていたのではないかと思う。

 

三途の川の渡り賃である六文銭(実際に幾らだったかは忘れた)を持たせていたのは覚えている。

 

祖父が入ったその木枠の樽を、二人(村民が順番に担当となる)がカゴのように前後から抱えて墓地まで移動するのだ。

 

その後に親族一同が裸足に白装束で、一定間隔で一列に連なって歩く。

 

一番先頭は僧侶だったかもしれない。

 

その後に祖母や子供達(私にとっては叔父叔母達)、そして私たち孫も墓地まで歩いたので長蛇の列だ。

 

白装束姿は祖母と母を含む七人の子供のみだ。

 

そして、墓地に着くとこれまた担当の方が土葬をしてくれる。

 

順番とは言え、土葬担当は大変な作業だ。

 

叔父が土葬担当だった頃の話として、同じ家で立て続けに死者が出た場合の土葬が本当に嫌だったと言っていた。

 

理由は、言わなくてもお察しができるであろうと思う。


祖父の葬儀の後まもなくして土葬の慣習はなくなった。

 

  母と私の終活

 

今も変わらずド田舎な実家だが、骨休めに短期滞在するには申し分のない良いところだ。

 

母はまだ健在だが、実家とお墓に関しては私亡き後どうするかについて大方は母と話をしている。

 

昔は名前とお墓を絶やしたくないという思いが強かった母だが、どうにもできないことはある。

 

どうにか母の希望通りにしてあげたいと思い、私自身も色々考えてはいた。

 

ところが昨年、家とお墓についての母の考えを聞き少々驚いた。

 

子供の頃から耳にタコができるほど聞かされていた後継の話。

 

だが、母も年齢と共に考えが変わってきたのか、変えざるを得ないと思ったのか、、、(笑)

 

母は〝終活〟という言葉さえ知らないのだが、自分で色々と段取りを整えているようだった。

 

自分自身が考えを変えれば、簡単に解決することは往々にしてある。

 

どうにもならないことをありのままを受け入れ自分自身が考えを変えると、宇宙の流れは変わる。

 

自分自身が生きやすくなることはもちろんだが、意外なところから救いの手があったりする。

 

名前が絶えることに関しては、神のみぞ知ることだろう。

 

実家とお墓の件はまだ策はあると思っていて、私自身の終活の一環として何とかしてあげたいと考えてはいる。

 

話が逸れるが、私は名前が絶える家の特徴に最近気付いたかもしれない。

 

もちろんエビデンスはないが、周囲を観察していると間違いないと思ってきたのだ。

 

だが、これは公にはできない。

 

なんせ、世間的にはスピリチュアルなことなのでてへぺろ

 

毎年、父が亡くなった6月に帰省している。

 

今年も例外なく、来月帰省予定だ。

 

また母と終活の話をするだろう。

 

今回の記事は前回の記事の最後に書く予定だったのだが、すっかり忘れてアップしてしまった。

 

葬儀関連ということで、是非こちらも参考にしていただきたい。

 

 

 

 

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