意識の変容パラダイムシフト
現在セラピーはしていないが、私はヒプノセラピスト(催眠療法士)だ。
病の原因を調べず出来た病巣をただ取るだけの医療に疑問を持っていた。
病の一番の原因は目に見えない気(エネルギー)からくるもで、だから〝病気〟という。
食物が影響することはあるが、それが致命的な原因とはならない。
私の言う食物の影響とは、食物そのものではなく食物の持つエネルギーのことだ。
だが、その食物(エネルギー)も心=気(エネルギー)に比べると大した影響力はない。
私のこの考えは、今でも揺るぎなくこれに尽きると思っている。
肉体的遺伝など殆どない。
遺伝があるとすれば、精神的遺伝による病気だろう。
要は家系が持つ思考傾向だ。
目に見えない病気の根本原因を消さないことには、目に見える病巣をいくら切除しても必ず再発する。
そういう考えの元、病んだ気の原因を探すにはヒプノセラピーは唯一無二であると今でも思っている。
そんな中、コロナでセラピーを休業した。
コロナは、おそらく全世界の人々に意識の変容をもたらしたのではないだろうか。
それまでとは違った価値観に目覚めた人も多いだろう。
私もコロナのお陰で色々な気付きや出会いがあった。
一番の心の変化は、病気の原因をあえて探す必要があるのか、、、
その先にある疑問は、病気は治さないといけないものなのか、、、
ありのままを受け入れる
自分の身に起こることは必ず意味がある。
そしてそれは全て偶然ではなく必然。
どんな出来事も、ありのままを受け入れる。
「ありのままを受け入れる」ことが出来るようになると人生は楽になり変わる。
私がこの言葉の意味を理解できるようになったのはここ数年のことだ。
だが、私の理解が正しいとも限らない。
これは、自分自身で知覚して感じ取る以外ないのではないか。
私の理解する「ありのままを受け入れる」を書いてみようと思う。
家族や知人との仲違い
仲違いしたまま死に目にも逢えなかったという家族の話を聞くことがある。
昔は、死に際に仲直りしておけばよかったと後悔するだろうから、絶対に生きている間に関係を修復しておいた方がいいと思っていた。
今は、そう言う関係になったには必ず意味があるのだから、自然の流れに任せればいいと思っている。
決して自分でどうこうしようとは思わないことだ。
関係の修復を望みたいなら、行動は起こさずとも心で想っているだけでいい。
想念エネルギーは必ず届く。
生きている間に関係が修復できる運命なら、必ずそういう時間の流れが未来からやってくる。
関係修復に悩むより、自分の人生を楽しく生きることだ。
もし修復できないまま死を迎えても、気にすることはない。
お互いがこの世に未練を残さずあの世へ行けば、必ず会えるはずだ。
希望すれば思う存分話せるし、関係の修復なんてあっという間だろう。
病気で余命宣告をされた
大切にしているペットが病気になった時、どう思うだろうか。
育てている木や花が虫に食われて枯れかけている時、どうするだろうか。
おそらく、必死に治そうとするのではないか。
でも、病気になったペットを責めたり、木や花を責めたりしないだろう。
むしろ、こんなになるまで病気に気付かなくて申し訳ないという気持ちにならないだろうか。
自分自身が病気になったときはどうだろう。
不規則な生活をしていたせいだ、、、
ジャンクフードばかり食べていたせいだ、、、
休みなく働いていたせいだ、、、
病気になった原因を探って、そのせいにしていないだろうか。
つまり、その考えは自分が悪者になってしまう考えだ。
自分を責める必要は一切ない。
ペットや木や花と同じように、病気になった人は何も悪くない。
自分の体に対して、ペットや木や花に対する気持ちと同じ気持ちになってほしい。
病気になるまで気付かなくてゴメン、自分の体。
人間がペットや木や花を大切に養っているように、人間の体は人間の心が養っている生き物だと思う。
今までちゃんと養っていなかった自分の体を心から大切に想うこと。
これは、つまり自分自身を愛することだ。
三次元ボディ(肉体=体)は、四次元ボディ(エネルギー体=心)次第で変わる。
残された命が延びるか否かは生まれた時に決まっているので悩むのは時間の無駄だ。
限られた時間を有意義に過ごすことに運命を変える力が潜んでいる。
病気を治してもう一度人生を楽しみたいという心の底から湧いてくる気持ちがあるなら、その心が勝手に体を治してくれる。
治す潜在能力を引き出すのは、医者でも薬でもなく自分自身の心だ。
目に見えない何らかの力(something great)は必ず存在する。
病気に対する思い
肉体的病気になったら原因を探し、排除することで再発防止にはなるだろう。
だが今、あえてそれをする必要があるのかと疑問に思っている。
何もせずありのままを受け入れ、病気と付き合いながら楽しく生きる方がいいのではないかと思っている。
治る運命なら勝手に体は治癒していく。
治らなければ、それが運命だ。
その運命をありのまま受け入れよう。
こんなになるまで頑張ってくれた自分の体に感謝するとともに、今という時間を大切にすることだ。
精神的病気の場合は少し厄介なので、ここでの言及は控える。
だが、この場合も治す潜在能力を引き出すのは自分自身であることに違いはない。
「ありのままを受け入れる」については、以前スタエフでも話している。
よければ聴いたくだされ♪