そこに愛はあるんか〜
やっと2024年度の手帳を購入。
メモ用ノート以外に手帳にも、色々な走り書きをしている。
内容を読み返して残しておきたいと思ったものは、新年度の手帳にそのまま書き写している。
昨年は還暦を迎え、プライベート面でも仕事面でも大きく動いた。
昨年末、心の整理のつもりで思いのままをメモしたのだが、、、
結局
やっぱり
行くつく先は
しかないんだよな〜
愛とは全てをありのまま受け入れること
人生は自分への愛で決まる
自分を愛すれば人生が変わり始める
ありのままの自分を愛して受け入れる
どんな困難もそれをありのまま受け入れた時
宇宙が味方になりエネルギーが動き出す
行動の原動力は愛
愛があるから体が動く
行動できないのは行動する対象に愛がないから
「そこに愛はあるんか」
おそらく人間の使命の一つは、愛を学ぶまことだ。
愛とは何かを一言で表現するのは難しい。
『愛とは全てをありのまま受け入れること』
この表現が私にとってはベストだ。
究極の例を挙げると、子供を殺された両親が殺人犯を許すことが究極の愛だと思える。
そんなことあり得るわけがないと思っている人が殆どだろう。
アメリカでは実際にこういった実例がある。
そして、これがこの世の愛を知るということの一番分かりやすい例えのような気がする。
殺人犯が赤の他人だから赦せないのか。
万が一、自分の子供の一人が兄弟姉妹を殺した場合、殺した方も殺された方も自分の子供だ。
果たして殺した子供を憎むことができるのだろうか。
赦しは愛の一部だ。
神の存在と自分に内在する神
神が存在するという揺るぎない心が自分を強くしていると私は実感している。
どんなに辛い出来事にも必ず意味があることを理解すると、ありのままを受け入れることができる。
死=悪という概念に囚われると、残された人の人生は止まったままになる。
この世で死を迎えても、肉体がなくなるだけだと理解していれば執着するものは何もない。
天皇は祝之神事(はふりのしんじ)によって現人神になる。
天皇自身が人間ではなく神であると信じきらなければ、国民の安寧は保てない。
日本が世界に誇る安全な国の理由だと思っている。
日々、神と天皇に感謝の気持ちを伝えるのが日課だ。
生かされていることに気付けば、感謝せずにはいられない。
毎日平穏無事に生活ができていることに、日々感謝しかない。
感謝の気持ちも愛の一部だ。
神に見放されたと言う人がいるが、それは勘違いだ。
自分自身が諦めた結果であり、神は最後まで努力する人を決して見捨てたりはしない。
と言うより、私たち自身も神だ。
なぜなら、私たち人間は神の子だから。
誰に何を言われようと私はそう信じている(笑)
天の神は人間を皆平等に愛している。
殺人犯も、被害者も、神の子に変わりはない。
神罰は確かに存在するが、神聖な場所や自然を冒涜をした場合ではないかと思っている。
私が毎年新しい手帳に書き写しているメモを紹介する。
祈りとは神に話しかけること
瞑想とは神の声に耳を傾けること
神とは自分に内在するエネルギーであり
宇宙からもたらされるもの
セラピスト❤︎メモ
ここからはメモ用ノートを抜粋したものだ。
精神性は自然で無限なもの
宗教は人が作った有限なもの
感情は体の叫び
それが言葉になると悪態をつくことになる
疲れている時につい酷い言葉を使ってしまうのは
体の細胞が言葉を発している
悪夢は想像物
自分が想像したものが現実になる
潜在意識を物質化したものが体
全て納得のいく文章ばかりだ。
これを読んで腑に落ちたり気付きがあれば、嬉しい限りだ。
日ー太陽ー心臓ー金
月ー月ー脳ー銀
火ー火星ー胆嚢ー鉄
水ー水星ー肺
木ー木星ー肝臓ー錫
金ー金星ー腎臓ー銅
土ー土星ー脾臓ー鉛
地ー正六面体ー尾てい骨
水ー正十二面体ーお臍
火ー正四面体ー鳩尾
風ー正八面体ー心臓
この内容は本の情報を寄せ集めたものだが、ここ何年もの私の課題だ。
間違っている可能性もあり、私の中では未消化のままである。
メモ用ノートを捨てたいので、このブログに残しておくことにする(笑)
最後に今日のテーマに関する映画を紹介しておく。
『アメージング・ジャーニー 神の小屋より』