川田亜子アナの死と江東区女性不明殺害事件 | ЯαYの日記

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信なくば立たず

ほぼ同時期に起こったこの2つの事象には考え込んでしまいました。


どこから見ても動機が解らない位恵まれてる立場の人が自殺。
仕事とか男性関係とか言われてるようですが、多分これは本質ではありません。
仮にどちらかの問題を抱えていてもです。
それが自分に中で死に至らしめる位の重圧になってしまう所が本質です。
それはつまり自分の中で自分を支えるものがなかったのでしょう。
恐らく死に至る直前には、何が自分にとって幸福なのか、何が自分にとって楽しいのか、解らなくなっていた筈です。
つまりガイドラインが無い。
全てが虚無なのではないかという不安に飲み込まれてしまったのだと思います。
このガイドラインの無さというものは誰にでも平等で、傍から見て恵まれているように見える人の自殺がそれを象徴しているというわけです。
これはつまり現代は誰にでもこういう事が起こりうるという事です。


江東区の女性殺害事件。
この犯人のインタビューを拝見しましたが、やはり思ったより「普通の人」でした。
あんだけの事をやりながら平然とインタビューに応え、死体をゴミでも捨てるような扱いをしている。
本人は人を殺すのも死も云わば日常の「普通」の事として捉えているのでしょう。
しかも今回の事はマンションの隣人が犯人です。
これも実に恐いことなのですが、ある意味「日常」で起こった事件なんです。
なぜならもし男性が潜在的にこの犯人のような事を思ってる生き物なら、同じマンションの住人ならどこに住んでるか知ってるわけですから、まず真先に隣人を狙いますよね。
言ってみれば今までこういう犯罪をあまり聞かないのがどうしてなのかと思ってしまう位です。
要するにそういう衝動を今までは社会的に抑えてたんですね。
これもまたガイドラインなんです。
同じマンションの住人に若い女性が住んでいても、暴行するなんて考えてはいけない共通の価値観が皆にあった。
いや、無論今でもそれはあるのだけど、そのタガが大分緩くなってきているんです。
それ以前はこういう奇怪な犯罪を犯すのはヤバめの男性だったんだけど、思ったより「普通」の男性がやってしまったのがその象徴というわけです。
これからも「意外な」男性が簡単に犯罪をするようになるでしょう。
少し前にマスコミでも有名な教授が、痴漢を繰返していた事件がありましたがそれも同じモードで解読できます。


この2つは一見何の関係も無い事象ですが、大いにあったワケです。
これらが共通に持っている性質は、ガイドラインが無いと上記しました。
これは要するに我々が共通に持っていた「価値」が無くなったという事でしょう。
何が幸福か、何か楽しいかの基準は消滅し、逆に何をしてはいけないのか、何が悪なのかの基準も消滅したということです。極端に言えば。


だから個々の「人間力」がシビアに試される局面なんです。
自らの価値観、幸福感を見出せない人は自殺しか道がないでしょうし、弱い人間は安易に犯罪を犯すでしょう。

この2つの事象は、現在の、そしてこれからの日本の行く末を暗示しています。
これからも多くの犠牲者が輩出されるのでしょうが、これだけは言えることがあります。


無意味な死は少ないほうが良い。
無意味な死とは、すなわち無意味な生を意味するからである。