レンズ進化論3(レンズの歴史備忘録) | シネレンズとオールドレンズで遊ぶ!

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カメラマンヨッピーのブログ。シネレンズやオールドレンズなどのマニュアルフォーカスレンズをミラーレスカメラに装着して遊び、試写を載せていきます。カメラ界でまことしやかに語られているうわさも再考察していきます。

前回からだいぶ時間が空いてしまいました。

この間にどうしても読みたかったルドルフ・キングスレーク著の『写真レンズの歴史』(朝日ソノラマ)を読みました。色々な方がおすすめしていた通り情報量と時代背景の描写の詳細さが群を抜いている素晴らしい本でした。ルドルフ・キングスレーク氏がレンズ開発の歴史を第一線で見続けてきたからこその内容でした。レンズの百科事典のようです。


前回はダブルプロターやプラナーの誕生のお話でした。アナスティグマット全盛期というかサイデルの5収差と色収差の6収差補正レンズ全盛期に突入して、レンズはどんどん巨大化、複雑化した。当時のひとつの解答が対象型であった。しかしレンズエレメントの数が倍になってしまうので、追加で収差補正するたびにレンズが2枚づつ増えてしまうという、巨大化が避けられない設計であった。新種ガラスもコーティング技術もなかった当時、こういったレンズにはフレアという避けられない課題に直面する。

撮影の際の工夫でこういった問題を解決できた可能性をSPIRAL氏がM42 MOUNT SPIRAL にて検証されているが、こういった技術は当時一部の写真家の秘伝とされていたのではないかと思う。全ての人が幅広く使いこなせるレンズはまだ登場していなかったのではないかと思う。とはいえ当時のカメラやレンズの価格を考えると全ての人が手に入れられるようなものではなかったのではあるが。


今回はそんな巨大レンズ全盛期に現れた革命的レンズから始まります。1893年Cooke(クック)社のデニス・テイラーは写真用の3枚構成レンズを考案する。Cooke社では写真用レンズは製造していなかったため、Taylor&Hobson(テイラー&ホブソン)社が代わって商品化することとなった。その際Cooke社に敬意を払いCookeの名もレンズに刻まれた。これがクックトリプレットである。
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デニス・テイラーにとって幸運だったのはcooke社はレンズを設計する際にコストに対する自由度が高い会社であって点である。そのため光路計算をしてレンズを設計して試作品を作るという方法ではなくベンディングという実際にレンズを制作していろいろと組み換えを繰り返し最適値を探るという手法を取ることができた。このことにより、最小構成のアナスティグマットにたどり着くことに成功した。3枚6面で6収差を補正するという驚きの設計であった。開放値をf2.8(当時はf4)に抑える事で飛躍的にレンズ設計を簡素化できた。その反面強い屈折率を持つ中央のエレメントの調整は細心の注意が必要で生産性は低かった。そのためその当時追随できた会社は少なくトリプレットをアレンジしたレンズが各社から一斉に発売された。


その一番手はフォクトレンダーのハンス・ハーディングが1900年に設計したヘリアーである。

トリプレットの両凸レンズを貼合レンズにした。面白いことにフォクトレンダー社の資料によれば、このヘリアーはあの有名なペッツバールのレンズの派生型というカテゴリーに入るらしい。確かに凸凹凸のレンズエレメントはペッツバールと合致する。


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次に代表的な4枚玉はテッサーである。


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1902年にツァイスのパウロ・ルドルフによって発明されたこのレンズは、カールツァイスの発表によるとウナーの前群とプロターの後郡を組み合わせたものであるという。キングスレークの『写真レンズの歴史』にも、「テッサーは決してトリプレットの改良品ではない」とある。

確かに凸レンズと凹レンズでペッツバール和を0にするというトリプレットの基本設計とアナスティグマットの後郡の補正を対称型ではない前群で補正するというテッサーの設計理念は違うように思われる。

このレンズはその後W.メルテとE.ヴァンダースレブによりF2.8まで明るくなった。

『鷹の目』との表現されるそのシャープな写りはとても支持され世界中で同じ構成のレンズが作られた。面白いのはそれらテッサータイプのレンズの名前の語尾がarやrとなっていることである。現代でもコンパクトカメラやパンケーキなど多くのレンズに使われているレンズ構成である。


ちなみに色消しエレメントはツァイス、特にルドルフの十八番である。ショットのガラス工場を持つツァイスにとっては硝材開発とレンズ設計が二人三脚となっていた。そのため自社硝子工場を持たないメーカーに対して相当のアドバンテージがあった。ツアイスで優秀なレンズが発明されるたびに、他社はそのレンズに追随するためショット社の硝材を購入せざるを得ないといった図式があったのではないかと思う。


ライカレンズにもトリプレットの派生形と思われるものがある。それがヘクトールである。

マックス・ベレークによって設計されたこのレンズは中央の凹レンズが貼り合わせになっている。

面白いのは同じ名前のヘクトールのというレンズの中には、前述のヘリアーと同じ構成のものもある。エルマーのシリーズはテッサー型である。この1930年代のライカレンズはオールスター的なラインナップである。その中でヘクトール50mm F2.5とヘクトール73mm F1.9のみトリプレットの3群を全て貼り合わせにした独特な設計である。


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1924年にTalaor&Hobson社のH.Wリーはトリプレットをより明るくしたスピーディックレンズを発明した。これは後郡の

凸レンズをより薄い2枚の凸レンズに分割したものである。F2.5であった。

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その後リーは1931年にOPICの後郡を2分割したSpeedpanchroを発明する。



H.W.リーのスピーディックと違うアプローチでトリプレットを明るくしたレンズが登場する。

ルードヴィッヒ・ベルテレのエルノスターである。このレンズはトリプレットの1群の凸レンズのすぐ後ろにもう一枚凸メニスカスレンズを入れる方法である。この方法を考案したのはC・マイナーという光学者でガンドラックのウルトラスチグマットとして発売されていが、エルノスターとそのレンズを搭載したエルマノックスの知名度が高いためあまり知られていない。エルネマンの星という意味のエルノスターはその後改良され映画撮影機用のF1という明るさのものまで登場する。このレンズは当時最も明るいレンズであった。
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エルノスター基本形(1923年)



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エルノスターF2(1923年)
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エルノスターF1.8(1924年)


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エルノスターF1(1925年/映画撮影機用)


独学でレンズ設計を学んだ23歳のルードヴィッヒ・ベルテレはエルネマン在籍時に、このレンズを設計する。その後立て続けに改良型を発表し、ついにはF1のレンズまで登場する。

エルノスターの多くはエルノマックスというカメラに搭載された。当時としては小型なカメラで持ち運びが容易であった。室内でもフラッシュ無しで撮れる明るいエルノスタート相まってキャンディットフォトという現代の報道写真やスナップの源流とも言える写真の流れを生み出した。写真家エーリッヒ・ザロモンの国際会議での写真が有名である。


その後エルネマンはツァイス・イコンの設立とともにツァイスに吸収される。ルードヴィッヒ・ベルテレもカールツァイスに移籍し、エルノスターの後継レンズ、ゾナーを設計することとなる。


やっと役者が揃ってまいりました。レンズ戦国時代もいよいよクライマックスです。


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レンズ進化表3



出典:カメラマンのための写真レンズの科学  吉田正太郎著  地人書館

    写真レンズの歴史 ルドルフ・キングスレーク著 朝日ソノラマ