マイクロフォーサーズとニコン判 | シネレンズとオールドレンズで遊ぶ!

シネレンズとオールドレンズで遊ぶ!

カメラマンヨッピーのブログ。シネレンズやオールドレンズなどのマニュアルフォーカスレンズをミラーレスカメラに装着して遊び、試写を載せていきます。カメラ界でまことしやかに語られているうわさも再考察していきます。

敗戦間もない1945年にカメラ作り乗り出した企業がある。いわずと知れた『NIKON』である。戦前陸海軍の受注を中心に事業を展開していた日本光学も敗戦とともに民間事業を始めることとなった。そのときに新規事業として始めたのがカメラ作りであった。この話しは当時ニコンの社員でニコンの創成期を知る荒川龍彦さんの著書『明るい暗箱』に、当事者しか知りえない貴重なエピソードとともに書かれている。でその中で最初期のニコンであるI型のフィルムサイズについての話題がある。現在は35ミリカメラといえば24mmX36mmのいわゆるライカ判が常識である。常識過ぎてライカ判なんて言葉もないくらいである。しかしカメラ作りに乗り出したばかりのニコンには2:3より3:4の画面の方が美しいし、36枚撮りのフィルムで40枚撮れるということで24mmX32mmという画面サイズを採用した。その後この画面サイズは自動現像機で処理できないなどの理由からイーストマン・コダック社などからの大クレームにあい短命に終わるのであるが、画面比率が美しいという考えで新しい画面サイズを採用するという姿勢が、当時のニコンのカメラ作りに対する真剣さを物語っている。それから約半世紀たった1999年オリンパスイメージングが次世代デジタルカメラにふさわしい撮像素子の規格4/3を策定した。フォーサーズとは4/3インチ(正確には撮影管4/3インチ相当と言うことらしい)撮像素子を使ったもので、その画面サイズは18.0mm×13.5mmで比率は4:3であった。ニコン判の提唱より半世紀を経て、デジタルカメラでで3:4の画面比率が復活したのです。2002年に発表された共同策定者のうちの一社は皮肉にも50年前にニコン判にクレームをいれたイーストマン・コダック社であった。その後マイクロフォーサーズ規格も策定され現在ではミラーレス一眼というひとつのジャンルを確立するにいたっている。2012年現在、ライカをはじめカールツアイス、シュナイダー、コシナ、シグマ、ケンコー・トキナー、タムロン、駒沢商会、アストロデザインなどが規格賛同を表明している。50年のときを経てニコン判の(比率と言う意味で)正当性が評価されたわけである。というと大げさかもしれない。