『古代・前期中世朝鮮語における名詞化』 伊藤英人 p87
-n連体形
根古 「祷千手観音歌」
kʰɨ-n-ko
大きい 連体 疑問
大きいか?
私註 『三国遺事』巻第3 塔像第4 芬皇寺千手大悲盲児得眼条 郷歌「祷千手大悲歌」
「~放冬矣用屋尸慈悲也根古」
根をkəと音読みせず、根=基(もと) と云わば「訓読み」する見解も存在します。
以上から、伊藤英人 氏は、
古代朝鮮語における「大きい」の語幹を{*kʌ-}[*kə]、
「コニ」を語幹に-n連体形のついた*kʌn[*kən]と解釈しています。
これに対して、東京大学の福井玲 氏は
福井玲 『韓国語音韻史の探求』2013年 p156 激音の起源
~~~hVCVのように、語頭にhをもつ2音節語幹において、さきほどの複子音の形成と
同様に、第1音節の母音が脱落し、それによって語頭に有気音が生じるというものである。
例えば『鶏林類事』に「乗馬曰轄打」,「大曰黒根」と記されている。語形は、それぞれ
中世語のtʰʌ-「乗る」、kʰɨ-「大きい」の前身の*hʌtʌ-、*hɨkɨ-という語を記録した
ものと見ることが可能である。(李基文1991、p18Ramsey1997、p138)
李基文『國語語彙史研究』ソウル東亜出版社
Ramsey The inventionof the alphabet and history of the Korean language ハワイ大学
古代朝鮮語の「大きい」を*hɨkɨ- に類似した2音節の語形と想定されています。
私見
しかしながら、古代朝鮮語における「大きい」の語幹を{*kʌ-}[*kə]と考える直接の
証拠は、解釈の分かれる難解な郷歌「祷千手観音歌」の「根古」のみであり、官職に関し
ても、同じように新羅語や中期朝鮮語で読まれていた保障はどこにもありません。
歯茎鼻音の[n]と両唇鼻音の[m]とでは、唇の動きの退化と言う言語学上の一般的な現象から、
両唇鼻音の[m]から、歯茎鼻音の[n]に変化するのが通常で、その逆は、普通はありません。
咸安・城山山城木簡が、ことさら「レ点」を挿入して訂正していることを重視すると、
「干支」の古形は、韻尾を後続の頭子音で解消する、いわゆる連合仮名の「干牟支」で、
その音価はkamu-kiであったと解釈することが可能です。 すなわち
kamu-ki「干牟支」 > kan-ki「干支」 と変化したと考えることができます。
また、
「上干支」は、新羅の身分制のうち地方の在地首長に与えられた官位(外位)。
「干支」は任那などの小国の首長によく使われ、百済新羅等では臣下にも使用された。
との歴史的事実から、「干支」は、新羅本来の官位・職制ではなく、いわば新羅=韓族が
朝鮮半島に南下する以前に使用されていた言語の残滓と考えられます。
とすると
kamu-ki「干牟支」は、上代日本語の「神」の被覆形kamuと、スメロキ、ヒモロキ、
カモロギ等の複合語の後項の「霊威」を表わすki との合成語であると解釈することが
できます。
『周書』「異域伝百済条」
「王姓夫餘氏、號於羅瑕、民呼為鞬吉支、夏言並王也。妻號於陸、夏言妃也。」
「王姓は夫余氏 於羅瑕(olaka)と号す 民呼びて鞬吉支となす 夏言(漢語)はみな王なり
妻は於陸と号し、夏言(漢語)では妃の意味なり。」
前の記事で検討したように、於陸 or-ku は百済王族語(高句麗語・上代日本語)で、
被支配階級である韓族の言葉とは異なっていました。
『釋日本紀』巻17 秘訓2 国史大系p237 大后コムヲルク、コ尓ヲルク、コヲルク
『釋日本紀』巻20 秘訓5 国史大系p267
王后コ尓ヲルク 太子コ尓セシム 私記曰 古尓於留久、古尓支之 並百済之語也
コヲルク *kʌ- or-ku コニ オルク *kʌ-n- or-ku と解釈しましたが、
百済民衆語(鞬吉支 コキシ *kʌ-kɨi cʌ コニキシ*kʌ-n kɨi cʌ)に、韓語系の*kʌ/*kəが
冠記されるのは問題ありませんが、百済王族語(高句麗語・上代日本語)に韓語系の*kʌが
付加されるのは違和感があります。
仮に、コやコニの古形がko(m)やkomiであれば、異形態の存在(被覆形kamu・露出形kami)
や両唇鼻音[m]から歯茎鼻音[n]への変化で合理的に説明が可能です。
森博達氏によれば、ア列音は奥舌母音であったとされますので、音韻的に[ʌ]に近く、
奥舌母音[ɑ]の「ア」は、「オ」と混同された可能性もあります。
また、北野本3類のように、歯茎鼻音[n]の「辛」の音を「シム」と注記した例もあり
表記上も問題がありません。
(一般に韻尾が歯茎鼻音[n]となる場合は、「ン」と表記せず、省略する「無音表記」
韻尾が両唇鼻音[m] となる場合は、「ム」とする仮名遣いが行われていたとされますが
例外も多々あります。)
伊藤先生は、「干」は、{kʌ-}に完了接辞{-a-}が付き、さらに-n連体形のついた*kanを
想定する、とされますが、完了接辞{-a-}の異形態{-ə-}(陰性)を認める点で若干問題があり、
また、中期朝鮮語kʰɨ-n(陰性)の古形を、*kʌ(陽性) *kə(陰性)とする点で
中期朝鮮語kʰɨ-n(陰性) <古代朝鮮語*hɨkɨ(陰性) とする一貫した陰性母音[ɨ]を想定
する福井説よりも、後世、陽性母音[ʌ]が、陰性母音[ɨ]に合流したことを考慮に入れても、
母音調和の観点からは、少し整合性に欠けます。
(参考 中期朝鮮語の母音 陽性母音[a][ʌ][o] 陰性母音[ə][ɨ][u] 中性母音[i] )
むしろ
2009年発見の新羅最古の金石文 韓国 浦項中城里新羅碑 「辛巳」年(501年?)
「喙部習智阿干支沙喙斯徳智阿干支~」 及び
「迎日冷水碑」慶尚北道迎日郡 新羅503年
碑文上面「村主臾支干支須支壹今智 此二人世中了事故記」
(二人の当該地の村主(在地首長)が、この調停に立ち会ったことを刻んでいる。『古代
日本 文字の来た道 古代中国・朝鮮から列島へ 歴博フォーラム』p61 李成市)
の「干支」は、碑文と言う性格上、字数及び表記上の制約があり、kamをkanと類音表記
したものと解釈することも可能ではないでしょうか。
いずれにしても、古代朝鮮語(新羅語)は、「大きい」のような日常一般的な基礎語彙で
さえ、*kʌ /*kəとする見解や*hɨkɨ とする見解に分かれるなど、その音価が不明
です。
古代朝鮮語と中期朝鮮語との間には、福井先生やRamsey氏が既に指摘されているように、
かなり大きな音韻上の変化があり、未だその全貌が解明されていません。
このような状況下で、現代朝鮮語そのままの「音価」で地名、人名、官職等の語彙を、
これ見よがしに読み下すと言うのは正気の沙汰とは思われません。むしろ『日本書紀』等
の古訓の方が古代朝鮮語の音価に近いと考えた方が良さそうです。
「加羅kara」と「伽耶kaya」とでは、音韻学上、前者の方が古形であるのは明白です。
先日、早稲田大学名誉教授の田村すゞ子先生が逝去されました。先生の幾多の論文により
アイヌ語の沙流方言は、かなりの部分が解明されました。御業績に思いを致すとともに、
ここに先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。