尾張国熱田太神宮縁起 貞観16年春(874)
 
熱田太神宮縁起 歌謡5
日本武尊の歌
奈留美良乎 美也例波止保志  此多加知尓   己乃由不志保尓  和多良部牟加毛
成海浦を  見やれば、遠し  直(ひた)徒歩(かち)に この夕潮に  渡らへむかも
 
熱田太神宮縁起 歌謡6
日本武尊が甲斐国の坂折宮にて宮酢媛を恋して歌った歌
 
阿由知何多 此加弥阿祢古波 和例許牟止 止許佐留良牟也 阿波礼阿祢古乎
年魚市潟() 火()上姉子は 我来むと  床去るらむや  あはれ姉子を
 
此ノ数首ノ歌曲ハ、此ノ風俗歌ヲ為ス
 
尾張国熱田太神宮縁起の末文に「古記ノ文ヲ捜シ、遺老ノ語ヲ問フテ」とあり、
これらの歌は『古事記』『日本書紀』に収録されておらず、恐らく、散逸してしまった
尾張国風土記の「風俗歌」に収められていたものであろう。(群書解題)
 
阿由知何多は、年魚市(鮎市)の縣(あがた)、あるいは熱田台地南方の年魚市潟
これらは、愛智郡の古称です。
 
此加弥阿祢古は、氷上邑に居住したとされる宮簀媛を指します。
 
『延喜式』神名帳 延長5年(927) 氷上姉子神社 祭神は宮簀媛命 熱田神宮の摂社
氷上は、もとは火上で、火災を避ける意味から「氷」に転じた。現在の地名は「大高」
「此」ヒ甲類   「氷」ヒ甲類Fi  アクセント低起式L 類聚名義抄
「火」ヒ乙類 アクセント低起式L 類聚名義抄
 
万葉集 巻20 №4419 防人歌  安之 多氣騰母  葦 焚けども
(Fï)の古形 Fu  
(Fï)の被覆形Fo
(Fï)の古形 Fu が低舌化(uo)して、Fo(被覆形)となり、一方、火の露出形は
(Fï)の古形のFuに、特定化・焦点化接辞-iが付き、Fuiとなった。
大高は、火(Fï)の被覆形Foの語頭子音が脱落したものと考えられます。
 
熱田神宮は、年魚市潟の対岸にある現在の熱田神宮公園に立地する東海地方最大の
前方後円墳の断夫山古墳が造営されるに伴い、緑区の「大高」の地から、草薙剣が
遷座するに際し、立社されたものかもしれません。
この宮簀媛に関する説話は、大和王権が尾張の勢力と婚姻関係を通じてその協力のもと、東国支配を確立していった歴史的事実の反映と考えることもできます。
 
次に
阿祢古=姉・子 
「子」は、親愛な者などを指す、接尾辞  例 我妹子(わぎもこ)、夫子(せこ)
 
「姉」は、「おとうと(ətə-Fitə劣・人)」や、「いもうと」に対する年長者を意味しますが
ここでは、「姉」が「宮簀媛」を指していることは明らかですので、
この「姉」は、女性一般、あるいは若い女性の意味で、後代の「姉」のように、年長者に
限定されていません。
 
実はこの尾張国熱田太神宮縁起及び『延喜式』神名帳での「姉」の用法は「孤例」ですが、
東国の尾張国風土記に依拠したものであること及び後述の朝鮮半島の用例から、年長者の
意味を含まない女性一般、若い女性の意味の方が本来の用法と考えられます。
 
 
李基文『韓国語の歴史』p116 p117
『鶏林類事』と『郷薬救急方』は各々十二世紀と十三世紀の語彙資料であるが、その中
には後期中世語又は近代語の知識では、とうてい理解できない語が多く含まれている。
『鶏林類事』から数例を挙げれば次のようである。(1)竜曰称 (2)尼曰阿尼 (3)兄曰長官
(私註、金東昭『韓国語変遷史』p108 注87 では、兄曰長官は高句麗の官制である大兄、
太大兄を見て誤って記録したものではないかという。さらにこの部分は本を編集する過程で長官曰兄の順序が逆になったものと考えられ、親族名称の中に入れられたようである。)
(4)女子曰漢吟、(5)婦曰了寸、(6)母子兄曰訓鬱、(7) 母子弟曰次鬱 等。現存の諸異本は
すべて後代のものであるので誤字もあるだろうと思われるが、大部分は当時実際にあった
ものと見なければならないであろう。例えば(2)の「阿尼」は、古代韓国語にもあった痕跡
がある。『三国史記』(三九-七)新羅職官名中の「阿尼典 母六人」、『三国遺事』(五-七)
(私註 正しくは後述のように五巻八)見女處曰阿尼岾 参考。
 
『郷薬救急方』にも数例がある。~~省略~~ (4)鉛俗云那勿(namɔr)十五世紀以後の
文献には ~~省略~~ (4)napと出てくる。(4)については、これが中世語に残った
高句麗単語の貴重な一例であることを指摘した。(p103)この一例は前に挙げた『鶏林類事』
の例中にも、高句麗語単語がある可能性のあることを示唆してくれる。
 
伊藤智ゆき『朝鮮漢字音研究』p266によれば、朝鮮漢字音は、唐代長安音(河野六郎説)
に近いとされますので、以下のように推定が可能です。
 
「尼」 広韻  脂韻  娘母 開三等     王力ni  董同龢njei
「阿尼」ani /anjei アニ、アネ
 
『三国遺事』 「見女處曰阿尼岾」 阿尼・岾
名著出版 『三国遺事』書下し文 p202 原文p178
『三国遺事』 巻5 「避隱第八」 「會逃名 文殊岾」
高僧會。嘗隱居靈鷲。讀蓮經修普賢觀行。庭池常有蓮數。四時不萎
(今靈鷲寺藏殿。是會舊居)國主元聖王聞其瑞異。欲拜為國師。師聞之。乃棄庵而遁。行跨西嶺巖間。有一老叟今爾耕。問師奚適。曰:吾聞邦家濫聽。縻我以爵。故避之爾。叟聽曰:於此可賈。何勞遠售。師之謂賣名無厭乎。會謂其慢已。不聽。遂行數里許。溪邊一媼。問師何往。答如初。媼曰:前遇人乎。曰有一老叟侮予之甚。慍且來矣。媼曰:文殊大聖也。夫言之不聽何。會聞即驚悚。遽還翁所。扣顙陳悔曰:聖者之言敢不聞命乎。今且還矣。溪邊媼彼何人。斯叟曰:辯才天女也。言訖遂隱。乃還庵中。俄有天使齎詔之。會知業已當受。乃應詔赴闕。封為國師(僧傳云。憲安王封為二朝王師號照咸通四年卒。與元聖年代相示未知孰是)師之感老叟處。因名文殊岾。見處曰阿尼岾。
 
媼=辯才天女=女=阿尼
老叟=文殊大聖=文殊  
阿尼は、女性一般を指し、天女の意から、ある程度若い女性ということになります。
 
『三国史記』 東洋文庫 井上秀雄 訳注 三国史記3 p307
阿尼典(宮内の保育事務) [阿尼典は] 母()が六人である。
私註 保育を担当する訳ですので、母乳の出るある程度若い女性ということになります。
 
以前、指摘しました女真語の「謀克=百人長」mömküという単語は、明代にはすでに
見えなくなり、『龍飛御天歌』(朝鮮世宗二十七[1445])巻七第五十三章には「阿木刺唐括
灘古玉奴」、注に「唐括、猶言 百戸也」とあり、四夷館『女真訳語』では「湯古」、
会同館『女真訳語』では「倘古」taŋgu 意味は数詞の100で、mömöから、別のtaŋgu
に置き換わっています。 (愛新覚羅烏拉煕春『韓半島から眺めた契丹・女真』p163p181)
 
以上から、「阿尼」ani/anjeiアニ、アネは『鶏林類事』(1103年~1104年頃)を最後に
朝鮮語から消えてしまうのに対し、日本語では多少の意味分化はあるにせよ、現代まで
連綿と使われている点を考慮すると、「阿尼」ani/anjeiアニ、アネは、朝鮮半島の基層言語
の一つが高句麗語・日本語系の扶余系言語であり、それが文化的優位性から当時は属国で
あった新羅語に借用されたと考えるべきです。
 
My姉子