『三国遺事』新羅 第四代 脫解王の「阿尼」
七年後產一大卵。於是大王會問群臣。人而生卵。古今未有。殆非吉祥。乃造樻置我。并七寶奴婢載於舡中。浮海而祝曰。任到有緣之地。立國成家。便有赤龍護舡而至此矣。言訖。其童子曳杖率二奴登吐含山上作石塚。留七日。望城中可居之地。見一峰如三日月。勢可久之地。乃下尋之。即瓠公宅也。乃設詭計。潛埋礪炭於其側。詰朝至門云。此是吾祖代家屋。瓠公云否。爭訟不決。乃 告于官。
官曰。以何驗是汝家。童曰。我本治匠乍出鄰鄉。而人取居之。請堀地檢看。從之。果得礪炭。乃取而居為。時南解王知脫解是智人。以長公主妻之。是為阿尼夫人。一日吐解登東岳。迴程次令白衣索水飲之。白衣汲水。中路先嘗而進。其角盃貼於口不解。因而嘖之。白衣誓曰。爾後若近遙不敢先嘗。然後乃解。自此白衣讋服。不敢欺罔。今東岳中有一井。俗云遙乃井是也。及弩禮王崩。以光虎帝中元六年丁巳六月。乃登王位。以昔是吾家取他人家故。因姓昔氏。
「以長公主妻之。是為阿尼夫人」 年長の王女を妻とし、これを阿尼・夫人と呼んだ。
『三国遺事』第四代脫解王では、年長の女性が阿尼と呼ばれていることが分かります。
また
『三国史記』5 新羅本紀 眞德王 新羅 第28代 在位647年~654年 では
「眞德王立 名勝曼 眞平王母弟國飯 【一云 國芬】 葛文王之女也 母朴氏月明夫人
勝曼姿質豊麗 長七尺 垂手過膝」
『三国遺事』の王暦には異伝として
「第二十八眞德女王 名勝曼。金氏。父眞平王之弟國其安葛文王。母阿尼夫人朴氏。
奴追■■■葛文王之女也。或云月明。非也。」 とし、
眞德女王の母親を朴氏の「阿尼」夫人としています。
従って、月明=阿尼 と考えることができます。
「月明」は、李基文『韓国語の歴史』p96 新羅以来の口伝に下記のような例があり
東京 pʌrkʌn tʌrai saitorok nonitaka
東京[慶州]の 明るい 月に 夜のふけるまで 遊び歩いて
私見によれば
pʌrkʌn明るい(連体形) tʌr月 中期朝鮮語 月tʌr アクセントH
中期朝鮮語 明るいpark 赤いpʌrk アクセントL
と、分析でき、
「月明」tʌr-pʌrk/ park 「阿尼」ani/ane は、
おそらく「朴」(王力pʰɔk 董同龢pʰɔk )と、pʌrk/ parkは、音が似ていることから、
「月明」は新羅語で、訓読みしたものと思われます。
これに対して「阿尼」は、第四代脫解王の例からも、年長の女性、すぐれた女性の意味で、
仮に、現代日本語の「姉」に置き換えても、文意が通じます。
この点からも、「阿尼」は新羅語とは別系統の言語の語彙であることが伺えます。
『美濃国戸籍の総合的研究』 犬飼隆『上代文字言語の研究』増補版p207 によれば
「姉」字は、御野戸籍には用いられていない。それ以外の戸籍・計帳では一貫して、
男子を視点として年上の姉妹にあたるものをあらわしている。ただし、下総戸籍は
用法に混乱がある。
p208
この状態は、「妹」で年齢の上下にかかわらず姉妹をあらわす様式に「姉」が導入
された初期の混乱をうかがわせる。
p209
語形の根拠は、御野戸籍に「姉つ売」という人名を「阿尼都売」とも書いた例をあげる
のが通説である。結果的にはそれでよいが、御野戸籍には姉妹関係をあらわす「姉」字が
使われていないのだから、左のような手続きを経て承認されるのが筋である。
私註
要約しまと、最も古い「御野(美濃)戸籍」(大宝2年 702年 正倉院文書断簡 古事記
よりも成立年代は古い)には、人名を除いて、姉妹関係を表わす語彙としての「姉」は使用
されてはいず、その後の下総戸籍や九州(西海道)戸籍で初めてその使用が確認されます。
p209
人名の要素に「あね」を与えるときは、たとえば
戸主児姉都売[年七小女]次姉売[年四小女] 次小姉売[年二縁女]のように、出生順を
考慮していないようにもみえる。しかし、統計をとってみると傾きがある。「あね」を
要素とする人名のうち姉妹の間柄が確認できるのは約五十例であるが、そのうち
三女以下は四例にすぎない。しかも、その一例は右に示した接頭辞「小」が付いた
ものである。次女の半数の七例も同じである。これに加えて、姉妹が一人しか記載
されていない十四例は長女である確率が高い。要するに、御野戸籍において「あね」の
つく名は長女に与えられる傾きがある。従って、人名の「あね」は年上の姉妹を指す
「あね」と同語であるとは言い切れないが、女性・年上という、語義の重要な部分が
共通するのである。
私註
この女性・年上という、語義の重要な部分は、『三国遺事』第四代 脫解王の
「以長公主妻之。是為阿尼夫人」年長の王女を妻とし、これを阿尼・夫人と呼んだ。
という例の語義と全く同一と言ってよいでしょう。
山口佳紀『古代日本語史論究』p197 p198
犬飼隆『上代文字言語の研究』増補版 では、アネ(姉)の語源について論じ、一人称
ア(吾)に年上を表すエのついた形である可能性と、一人称ア(吾)に親称の接尾辞ネの
ついた形である可能性と二つを示し、そのいずれとも断定していない。
右の二つの可能性のうち、後者である蓋然性はほとんどない。犬飼は、後者の場合に
ついて、ネはセナ(夫な)・イモナ(妹な)などのナの交替形で、このナは、オキナ(翁)・
ヲグナ(童男)などの人を表す接尾辞から、親称に転じたものであると見る。しかし
「接尾辞」であるということは、実質的な意義がないということを意味するから、
その場合のアネは、一人称のア(吾)のみが実質的な意義をになうことになる。
したがって、その解釈に従う限り、アネの語源的な意味は、犬飼の言うように
「私の親愛者」ということにはならず、概念的にはア(吾)と同じことになるはずである。
ネあるいはナに、「人」を表す名詞的用法があったとすれば、話は別になるが、そのような
形跡は見出だされない。
筆者は、第一の解釈に従うべきであると考える。すなわち、「私の年長者」の意である。
ただし、多少の問題は残る。犬飼によれば、アネ(姉)は、上代において、女性間で年上の
者を示すだけでなく、男子を基準として、年上の姉妹を指す用法があったとされること
である。エは、同性間の関係を表すのに用いられる語であるから、アネのネをエと見る
ならば、その点で抵触することになる。しかし犬飼説は、上代における漢字「姉」の用法
からアネの意味を推定したものである。漢字「姉」が視点にかかわらず「女性かつ年上」
の概念を表すことを認めたとしても、日本語としてのアネが同一概念を表していたという
保証はない。上代語のアネは、女性間で年上の者を指していたと見ておくのが穏やかでは
ないか。 以上引用終わり
私見
熱田太神宮縁起、氷上姉子神社の「姉」や、『三国史記』『三国遺事』『鶏林類事』の「阿尼」
の例から、
端的に、女性 ⇒ すばらしい女性 ⇒ 年上の女性 ⇒ 姉妹のうちの年長者 へと意味分化
が生じたとする方が、無理に語源分析するより直裁的で簡明ではないでしょうか。
犬飼隆『上代文字言語の研究』増補版p214、215
日本語の兄弟姉妹の語彙の体系は次のように変遷したとみるのが、最も蓋然性の高い考え
方ということになるのであろう。はじめに年齢の上下をあらわす「え・おと」だけがあっ
た。そこへ性別をあらわす「いも・せ」が参入した。「いも・せ」は、おそらく本来は親し
い異性を指す親称だったのであろうが、兄弟姉妹の中で男女を区別するために兄弟姉妹の
語彙に取り入れられた。さらに、何らかの理由で、とりわけて女性かつ年上であるものを
言いあらわす必要があって、「あね」が取り入れられた。「あね」が兄弟姉妹の語彙として
定着すると、語彙の構造の均衡が崩れる。そこで、対する象限に「あに」が取り入れられ
た(あるいは、生じた)。そしてさらに後には、構造の均衡の変化が年下の象限にも及んで、
現代の体系と同じになった。
私見
「エ(ye年長)」にとって代わり、「姉」より遅く、平安期以降出現する「兄」は、
『新撰字鏡』 錠【金+登】 上【ウ冠/之】音 波佐弥 又 太加尓(タカニ)
登音有足日錠 无足日鐙也 ものを切る道具 同義語 波佐弥
太加尓 < 違ふ(四段自動詞)の語幹タガ(違)+カニ(金)
kanα(金) →kan[e/ë]<əi(焦点化・特定化接辞-iが付加) →kani(重母音の単母音化)
上の例のように、鏨(tagane)と太加尓(tagani鋏)との区別化から、焦点化・特定化接辞-iが
付加されたと考えれば、
( 類例numa(沼) ⇒numi(要害) ama(海人) ⇒ami(海士 アクセント袖中抄LL) )
ane ⇒ ane+i(焦点化・特定化接辞-iが付加) ⇒ ani(二重母音の単母音化) が想定でき
ane「姉」に、年長の意味を強調し、且つ「姉」と区別化するために、敢えて
焦点化・特定化接辞-iを付加して派生した新しい語彙であると解釈することも可能です。
この点で、焦点化・特定化接辞-i の新造語派生用法とも言えるかもしれません。