462.フィリピンの時の流に身をまかせ.2 | マリンタワー フィリピーナと僕といつも母さん byレイスリー
フィリピンの朝は騒がしく賑やかだ、ファミリーの子供たちの騒ぐ声や赤ん坊の泣き声、ニワトリや犬の鳴き声、隣の若者の低音の聞いた大音量のステレオ音で嫌でも起こされる、幸いの事にこの日も曇りで暑くない、夕方にはジョイが初めて日本に来てからの友人のカリンの家に夕方から行く事になっている、朝はシティホールと銀行への入金に行くつもりだったが腰痛がひどく護衛を従姉のドスコイシスターズに頼む事にした、この二人は髷さえ結えば立派な力士に見えるほどの体格だ、おまけに顔も金剛力士像のような顔で強盗もこの二人だけは避けるに違いない、姉は20年ほど前に日本にタレントとしてやって来たらしいが今はその面影はマイナス100%だ、仮にガンで撃たれても皮下脂肪で食い止められるし何しろ性格が真面目だから安心だ。


ジョイの家は一軒家でオンボロだが8LDKだ、二世帯住宅になっており一つはジョイの父母、弟、ジョイの子供のリアム、兄と兄嫁と3人の子供と父親の弟、即ちジョイの叔父の計8人が住んでいる、ここにワタクシとジョイが住めば10人家族となる、またジョイの妹が時々子供3人を連れてやって来る、そしてもう一つの住宅には父親の弟ファミリーが約10人ほど住んでいる、更に近所には母親方のロラ(お婆さん)と母親の妹夫婦とファミリーがいる、読まれている方もそうだろうがワタクシもまだハッキリとは誰が誰だか覚えられないのが現状だ(笑)


そしてファミリーの輪はもっと大きいようだ、カナダにいたりブラカンにいたりビガンにまで広がっている、いや実際はビガンこそが父親たちファミリーの発祥地らしい、今回はカナダにいる父親の妹でジョイの叔母が何年かぶりにフィリピンに帰って来るので散らばっているファミリーの代表に声を掛けクリスマスをファミリーの主力で過ごそうとなったようだ、当初はブラカンに集結の予定がイロコスビガンに変更になり日時も22日から27日まで滞在になったようだ、叔母はカナダから一族に仕送りをしていたのでファミリーは彼女の意向は絶対で逆らえない、ファミリーに取っては、どこでも「金こそ力なり」なのだろう、ジョイとワタクシも誘われているがイロコスビガンは一度行ってみたかったが車の長旅になる為に腰の具合でどうなるか決めかねている。


ジョイがドスコイシスターズを引き連れて帰って来た、予定通り10万ペソの預金が出来たようだが別の困った問題が起きた、ジョイが従姉から2万円で購入したエクスぺリアがフリーSimでないのでフィリピンで使えない事が解った、中を改造しないと電話もメールも出来ないらしい、このエクスぺリアをジョイに売りつけた従姉は岐阜でタレントをやっていて日本に来る時にチケット代を貸し、ワタクシの家に10日ほど泊まった時も「有り難う」の一言もない娘だ、その他にも金銭的に何度も面倒を掛けられているのにジョイのお人好しも底抜けに近いとしか言いようがない、今回も自分が通話出来ない携帯だからジョイに売りつけたのだろう、この性悪な従姉から電話を購入した事をワタクシに言わなかった事をジョイは素直に「ゴメンナサイ」と詫びたが、ワタクシはこの「従姉と関係を持つなと前から言っていたが大袈裟にはしなかったものの、この後再びワタクシの怒りがジョイに向かう事となってしまう。


タレント時代に初めて日本に来てから母親やファミリーに絞り取られ続けた、「ノー」とはなかなか言わない性格が災いした、一緒にいたカリンはファミリーに摂取されなかったので自分の金でコンドミニアムを購入した、更に恋人の援助でラスピニャスのビィレッジで家と四輪駆動車を手に入れ子供を認知してもらい毎月送金も滞こうった事もなく年に2度は必ず日本に遊びにやって来る、だが二人のこのフィリピーナのコントラストは少しずつ変わりつつある、お金には困らず一見ハッピーなカリンのように見えるが、彼女の恋人はフィリピンに来なくなった、いや実際は何度も訪れているだろう、正確にはカリンの家には来なくなった、この人は錦糸町でも有名なピナキチだ、実はワタクシもそうだったから良く判る、ワタクシより5.6歳若く中小企業ながら社長をやっている方だが金が有るだけにピナ中毒が止まらない、その為に新しい女への見返りが有るかないか解らない投資が今でも続いているのだ。


2年半前にもラスピニャスに行った時ワタクシがジョイと結婚すると言った時に彼女は複雑の顔を一瞬見せた、彼女の恋人は奥さんとは長い間別居しているが別れてはいない、一年に2度日本に行く時だけしか会えない愛人という微妙な関係だ、自分より不幸な存在だった友人が日本人と結婚するのは彼女の心に自分でも解らない嫉妬のようなものがあったかもしれないとワタクシは勝手に推測している、女心とは実に複雑怪奇なものだ。


横道にまた逸れてしまったが折角買った「携帯が使えなくてどうするの?」取り敢えずママ携帯を時折借りる事になったがメールが出来ない、メールがなければお会い出来るかもしれない方々に連絡が取れない、素直にフィリピンで携帯を買えばいいだけなのだが「ジョイが3日間待って」という言葉を信じて待つ事にした、歳を取ったせいかフィリピン妻を貰ったせいか最近すっかり気が長くなってしまった、いざとなればママの携帯とヤフーメールで連絡も出来る、もし、お会い出来なければそれも運命と受け止めて「いつかお会い出来るだろう」と考えるようにした。


夕方になりラスピニャスに向かう、前回はジプニー、バス、タクシーを乗り継いで行ったが今回は腰痛の為タクシーだけとなり約2時間半かけ到着した、今回のメンバーはカリンと姉、レスビアンとオカマとジョイとワタクシだがワタクシは食べるだけ食べソファーで横にならせてもらった、腰の痛みが激痛になってきて座るのも辛い、いつの間にか眠りにつき朝の5時に撤退となった、帰りは一時間半で家に着いた、昼まで寝て起きて来ると隣のアテがいた。


このアテは錦糸町でタレントを経て日本人と結婚、花壇街の近くのマンションに住んでいたが去年から旦那と一緒にフィリピンでここから30分のところに家を買い更に自分のファミリーがいる家を4階建てにした、この一帯ではシンデレラストーリーの体現者の一人だ、だがジョイのファミリーと問題が発生した、4階建てにした事で雨水がジョイの家の屋根に大量に流れこむようになり雨もりが酷くなったのだ、長い間仲が良かったファミリーが歪みあうようになった、日本人の方々に取っては実にくだらない争い事かもしれないが彼らに取ってはそうではない、実はワタクシがフィリピンに来てジョイの家に住むかもしれないという話は瞬く間に広まっている、更にジョイの家も増築する事も近所の衆は知っていた、このアテは以前ジョイが久しぶりに日本に来た時に会っているので初対面ではない。


アテは旦那がゴルフ場の会員権を買い毎日ゴルフをやっていたり友達の日本人たちに会いに行ったり楽しんでいる事を強調した、そして、こんなところは日本人は住むには適さない場所だという事を話続けた、アテはワタクシがジョイの実家に住むという考えを変えたかったように思えた、ワタクシは特にゴルフもしたくないし、いい家にも住みたいとも思わない、むしろファミリーに交わる事でフィリピンを少しでも早く知ることが出来てファミリーの将来の役に立てるのではと思っているだけだ、ワタクシのこれまでの人生はギャンブルと女だけで母親に迷惑をかけ通しだった欲にまみれたくだらない人生だった、母親も亡くなり子供二人も成人しちゃんと真面目に働き腹違いの兄弟たちとも縁を切りしがらみが無くなった、60歳に来年の2月になるが残りの人生を残されていくジョイやそのファミリー、特に未来を背負う子供たちの役に立てたいと考えている、やがて子供たちが出世してワタクシがいなくなった時に歳を取ったジョイを助けてくれればと思うのみだ。


確かに家は中も外もなかなか汚い、だがワタクシがタイ人の雪子の実家に行って見た家は板の継ぎはぎだらけで狭く冗談抜きで今にも潰れそうで相当のボロ屋だったしバングラデシュに行った時は川の両側に何千人という人たちが風で飛んでいきそうなボロ布や段ボールの家もしくは新聞紙を布団代わりにしていた人が大勢いた、それに比べれば7DKなのだから遥かにましだ、思えばネズミやゴキブリがいて共同便所、風呂なしシャワーなしのボロアパートで暮らした時もあったワタクシが今度はネコとゴキブリになりシャワー便所つきの家に住まわせてもらえるのだから有り難い事だし3歩は前進した事になる。


もちろん、このアテはワタクシがそんな経験をした事などは知らないだろうし一般的な日本人ならとして話したのだろうが、ワタクシからすると「どうぞ、お構い無く」なのだ、だいたい、この地区に日本人は住んでないのだから第1号になり試しにやってみるのも悪くないだろう、このアテの態度は返ってワタクシの反発心を燃えさせるものになったのかもしれない。


この夜に腰の痛みに堪えかねて出張マッサージを呼んでもらった、念のためマッサージといってもまともなマッサージだ、40代のババPだがなかなか細かい部分までやってくれたものの肝心の腰の部分が少し物足りなかったが2時間半で400ペソなら安いものだ、パンツ一枚にさせられてローションを塗りまくられたので風邪を引いてしまった、フィリピンに来てから4日目だが暑いと感じた日がまだない。


渡比して5日目、やっとフィリピンらしい暑さが戻ってきた、といっても灼熱の暑さではないのでまだ過ごしやすい、今日はファミリーの為に金を使う日だ、始めの4日間はジョイが小出しにママにお金を渡していた、これも作戦の一つで喉から手が出るほど「ペラちょうだ~い」と言いたいに違いないママを焦らして少しだけ有り難みを感じてもらおうと一辺には渡さないようにしていが、それもそろそろ限界と一万ペソを渡した、そして「帰り際にも余ったお金を渡すから」と注釈を入れておいた、当然ママはご機嫌になりワタクシにチューでもしそうな顔をしていたので逃げるようにして部屋に戻った、更にテレビだけがこの夫婦の唯一の楽しみなので大型テレビをプレゼントする事にした、空港に向かいに来てくれた従姉夫婦がスーパーマーケットに買い物に行くので便乗した。

ケソンシティで一番デカイというスーパーらしい、売り場はかなりユッタリとしたスペース、テレビを買うにはペソが足らないので7万円を両替した、為替は1日で1円50銭ほど動いており最初の両替時よりレートは良かったがこの日は日曜日で金曜日のレートで両替するので反映されるのは月曜日になる、電気売り場に行きテレビを見るがテレビに限らず聞いた事もないメーカーの物ばかりで日本の電気製品は一つもない、ほとんど中国製品ばかりで低所得者向けに販売しているのだろう、一機種だけ4万ペソというのがあったが、自慢ではないが、そんな高額な物に目を向けるワタクシではない、結局フィリピンブランドで有名なハナビシの40インチを1万5千ペソとリーズナブルと考え購入しバハイ(家)に戻った、家の前は車が通れるスペースがないので脇道からジョイと二人でテレビを抱えて路地を歩いていくと隣のアテの目を丸くした姿が見えた。



次回に続きます、いつもご訪問頂きまして誠に有り難う御座います、心より御礼申し上げます。