463.フィリピンの時の流に身をまかせ.3 | マリンタワー フィリピーナと僕といつも母さん byレイスリー
この街の道路は迷路のように要り組んでいる、案内がなければ目的地までなかなかたどり着けないだろう、幅は1メートルのところがあれば2メートルのところもある、だが道路には住民たちが椅子やテーブルを出して暇があると誰かれが座ってはお喋りをしたり、誰か金がある人間が何かを買って食事を振る舞ったり飲み物をおごり合う、今は少なくなったが日本でもワタクシがガキの頃は縁側で家族や友達、近所の人が座って話をしていたものだが、それの大型版と言えるものでフィリピンを好きな方はこういったフィリピン人の行為を‘昭和の香り,と受け止め懐かしい望郷の念にかられるからこの国が好きなのかもしれない、もちろん、マガンダ(美しい)なフィリピーナが側にいてくれてのフィリピンではあるが(笑)


40インチのテレビを抱えて家の側の路地に入ると日本人の旦那がいるアテとそのファミリー、そして近所の衆が皆目を丸くしてワタクシの方を見ていた、アテが口をあんぐりとしている横をワタクシは「ヤア」と言って家の中に入って行った、近所の連中は日本人が「大型テレビを買ったよ」と話していたかもしれないが日本に住んでいたアテに取っては安物の大型テレビ位は珍しくもなかろう、だがワタクシが本当にジョイのファミリーの家に住むという事に唖然としたのかもしれない、そして将来「敵対する事もあるかも」とベテランフィリピーナは感じたろうしワタクシも感じていた。


テレビを皆のいる応接間に運ぶと「オッーオーッ」と歓声が上がり皆嬉しそうだ、だが既存のテレビ台に入りそうにないのでワタクシがテレビ台の「此処と此処をカットすれば入るんじゃない」と手でカットする真似をするとパパが「おー、そうだ」と同調した、接続はファミリーに任せてワタクシはお昼寝を一時間ほどし応接間に行くと見事にセッティングは終了と言いたいが画像がメチャ悪い、雨の多い地域だけにアンテナを直しても直ぐに写りが悪くなるようだ、実はワタクシは渡比する前に仮にフィリピンで暮らす場合を想定して日本のテレビ番組を見れないかと調べていた、その中の一つにケーブルテレビがあったが日本の番組が映るかどうかはよく解らない、ケーブルテレビはフィリピンでは一般的らしい。


その話をパパに話してみると日本の番組は見れるかどうかが解らないが、2500ペソを一括で払えばケーブルテレビが見れるらしく近所でもそうしているようだが、フィリピンのケーブルテレビのホームページでチェックすると毎月250ペソから550ペソを払うようになっている、ひょっとしたら偽物ケーブルテレビかと思ったが物は試しに頼んでみた、一週間はかかるだろうと思ったらその日にやってきて直ぐに見れるようになった、チャンネルを回してみると画像がいいチャンネルとざらついた画像のチャンネルが入り乱れている、案の定、正式なケーブルテレビ局ではなく正式な会社の発信する番組をパクって各家庭に分配しているの安いのではないかと思ったがパパやママがこれで満足しているので「まあ、いいか」と思ったがワタクシの部屋につける時はインターネットテレビにして日本のテレビ番組が見れる物にしたいと思っている。



ジョイの家族は大ファミリーなだけにちょっとした事が問題になってしまう、フィリピンにやって来て二日目に近所に住むジョイのロラ(お婆さん)がやって来た、近所なので二日に一度位はジョイの家に顔を出すらしい、ママの母親だが顔もよく似ている、紹介してもらったがニコニコと応対してくれた、だが帰り際に何故か不機嫌そうな顔をして帰って行った、次の日も来たらしくて原因不明だがママと親子ケンカをして帰って行ったらしい、そして5日目にもやって来たロラはちょうど食事していたワタクシとジョイに「私のところに遊びにおいでね」と言ってヒョコヒョコと帰って行った。


ロラはカバナツアン出身らしい、カバナツアンと言えば有名ブロガーの‘ロクデナシひろし,がいらっしゃる有名なところだ、今は誰も住んでいないがカバナツアンの家もロラの物だ、中心地から離れている為に便が悪いらしい、だが将来的に状況は変わっていくだろうし、いつかは見に行きたいと思っている、この家にはジョイファミリーも住んでいたようだ、ロラたちが始めケソンシティに移り住みローンで土地を購入し小さな家を建てファミリーをカバナツアンから呼び寄せた、ロラは始めの土地のローンが終わる頃に再び銀行から借入し前の家の側に土地を購入し家を建てた、ジョイのファミリーが始めに買った家でロラはママの妹のファミリーと一緒に住んでいる、ローンの支払いの為にファミリー生活は苦しく子供たちを育てるのに苦労したろうが、やっと今年全ての支払いが終わった。


今のロラには現金はないが子供たち孫たちひ孫と多くのファミリーがいる、皆がこのロラのお陰でホームレスにならずに金がなければないなりに生活出来ている、ファミリーからすると有難い存在だ、だが生活出来るのが当たり前で代を重ねる事にロラの有り難さが薄れていく、ワタクシはジョイに「夕方にロラのバハイ(家)に行こう」と言うと「どして、さっき会ったばっかりでしょう?」と言う、ワタクシは「違うよ、ロラは自分の家に来て欲しいんだよ、お母さんだって誰か来てくれると嬉しそうだっただろう、ロラだって二人が来てくれた嬉しいんだよ」ジョイが理解したかどうかは解らない、自分の孫娘が日本人の旦那を連れて帰って来たのに自分のところに挨拶に来ない、自分の事を無視された感じがしたかもしれない、夜になったがワタクシとジョイはロラの家に向かった。


ロラとママの妹の家は新しいだけに綺麗だったし、まだまだファミリーが増えても大丈夫のように増築スペースは十分有りそうだ、壁には子供たちの学校を卒業した時の写真が額に入れられ飾って会った、だがロラやロロの若い時の写真が飾られてない、「どうして?」と尋ねると「写真を取る金銭的余裕がなかった」と答えた、写真事態よりもカメラを買う事が出来なかったという事だろう、歳を尋ねると「79歳」だと言って満面の笑みをしていた、ワタクシたち二人が来てくれた事で自分の尊厳が保たれたのが嬉しかったのだろう、持って帰れと2種類のオカズを出してくれた、帰り際にワタクシは「何か好きな物を食べて」と2千ペソを手に握らせてロラの肩を親しみを込めて軽く叩いた、「日本に帰る前にまた顔を出そう」と思いながらバハイに戻った。


6.7日目、フィリピンにやって来て始めて株式投資をおこなった、実は渡比する日に動き出した銘柄があったが飛行機に乗り見る事が出来ない為に取引するのを断念した、結果一年に3度あるかどうかの上昇を見せてワタクシがいかに間の悪い男だという事を実証した、それでも挫けていられないので6.7日で4万程稼いだ、途中画面が固まってしまい20分中断し「何じゃこりゃ~」と5万儲け損ねてしまった、まあ、マイナスではないので良しとした、しかし、日本で暮らせば4万は大した事はないがフィリピンでの4万は結構大きく感じてしまう、株式投資のやり方もちょこちょこと動き‘塵も積もればペソとなる,方針に切替えようと思う。


この日の夜、ジョイのクヤ(兄貴)の嫁が日本から帰って来た、彼女は山口のフィリピンパブで働いている、クヤと嫁の間には3人の子供がいる、と言っても上二人の子供は前妻との子供で前妻は男を作って逃げたらしい、二人の間の実際の子供はもうじき二歳になる女の子だけだが、この娘が可愛くて美形だ、金を出して美しさに磨きをかけワタクシがマネージャーになり女優にでもしようかと思っているが、最悪の場合は日本に行ってオジサマ族たちから円を大量にかっさらう事にならねばいいのだが、嫁さんは大した器量ではなくワタクシ的には下の上といったところなのだがファミリーとは仲が余りよくない、何しろ自分の娘がいるというのに送金もたまにしかしてこない、クヤは働き盛りの37歳の若さなのに仕事もせずに家でゴロゴロしている、更に時折ドラッグでおかしくなるという、こんな夫婦が家を買うなどと言っていたがワタクシの予想通りアッサリ立ち消えになったようだ、この夫婦がまともならワタクシの負担はグッと減るのだが。


12月23日、渡比8日目、本来なら朝の2時にロゴスに向けて出発の予定だったのだが、車のチャーター代の4000ペソとガソリン代の2000ペソをワタクシが払うという事をジョイが事前に言ってなかったのでワタクシはヘソを曲げてしまい一人部屋に戻った、携帯電話とこの合わせでカチンと来てしまった、なるべく現金を残して銀行に預けた分意外はママに渡して帰りたい、そんなワタクシの気持ちがジョイに伝わらないのがもどかしかった、2度程ジョイはロコスに行かないのか聞きに来た、ワタクシは背を向けて「行かないよ」と答えた。


ここで甘い顔ばかりしていては将来同じ事が起こると考えて、ロコスにはワタクシも行きたかったが敢えて行かない事にした、その後ジョイは部屋に来なかった、ひょとしたらワタクシを残してパパやママ、リアムと一緒にロコスに行ってしまったのではないかと思った、もし、そうならばジョイとの仲もここまでになってしまうかもしれない、それならそれで仕方がない、その時はロコスから帰って来た時に銀行に預けた10万ペソのうち5万ペソだけ返してもらいマニラに行こうと考えた、そして気がついたらいつの間にか朝になっていた、アイパットの時計を見ると8時半だ、時差があるので日本では9時半だ「しまった、株式市場が始まっている」と慌てて開いたが動いていない、「あれ」と思ったが12月23日は天皇誕生日だという事をすっかり忘れていた、そこに階段を上がる音が聞こえてきた。



次回に続きます、いつもご訪問頂きまして誠に有り難うございます。