382.褐色の花嫁.47 | マリンタワー フィリピーナと僕といつも母さん byレイスリー
その日ワタクシは週一回の土曜日だけ川崎のビルで警備員のアルバイトをしておりました。


普段の日は株式投資をしているので市場が休みの土曜日だけやっていたのですが、以前の商業ビルに比べれば実に楽チンな仕事です、月に4回しかやらないので勿論給料が安いのですが、税金や年金、保険代を給料の中から引いてくれるので細々と続けていたのです、しかし、この川崎もなかなか国際色の強い街です、フィリピーナはたくさんいますし、インド人の家族連れもよく歩いていて、中国人、韓国人も多そうです、街の中に入って行くと多分、色々な人種の人たちがいるのでしょう、そして頑張って生きているのでしょう。


今は外国人たちとの関わりから少し遠ざかっていますが、「いつか、また」役に立ちたいの気持ちだけは胸にあるワタクシ、それは何故か、言葉では簡単には言い表せないのですが、20数年間色々な外国人たちと友人となり彼らと同じ目線で話しをして考え、悩んだ、そして多くの人の役に立ちたいと思ったものの、大した事も出来ずに果たす事が出来なかったものが今も胸に残っている。


ハッキリ言って自分でもよくわからないのですが、タイのパタヤビーチで当時、初めての外国人の恋人のハルが道に立っていた汚い格好をした幼い3人の子供を見てワタクシに「アノコタチワ ムカシノ ワタシヨ」と言ったのが今でも忘れる事が出来ずにいるのです、幼子たちは自分たちを買ってくれる客を待っていた、その幼子たちに何もしてやる事が出来なかったのが、今でも思い出され心が揺さぶられる時があるのですが、それが何かをししたいと思わせる要因なのかもしれません。


警備員のアルバイトは24時間勤務なのですが、夕食を食べた後にジョイから電話です、
ワタクシ「どうしたの、何かあったの?」


ジョイ「オー、オカアサン タイヘンヨ、ホスピタル イクヨ!!」
ジョイは慌てていて良く言っている事が解りません、すると別の日本人の女性に代わりマンションを出た出口の階段のところで倒れ動けなくなった母親を女性が発見し救急車を呼んでくれたのでした、そして部屋まで行ってくれてジョイを呼んでくれたらしいのです。


どうして、そうなったのか、結局は母親の勘違いで来るはずもない人を追いかけて勝ってに階段で転んでしまったのですが、こういう事もあるかとワタクシは警備員の仕事も辞めるつもりで辞表を出していたのですが、全てのタイミングが悪すぎました、救急車で一緒行ったジョイから再び電話があり看護師さんに代わると母親は多分骨折だろう、完全介護で付き添いの人は泊まれないのでジョイも家に帰りました。

仕事が終わり急いで家に帰り二人で病院に向かいました、土曜日の夜に緊急で運ばれた為に家から一時間以上かかる病院です、バス、電車、バスを乗り継ぎ到着しました、酸素マスクを着けて全く声が出ない母親、「こんなに重症なの」と思ったら痛み止めの為に朦朧としいるのでした。


看護師さんから呼ばれ先生と話しをするとやはり大腿骨と左手を骨折していて手術をしなければ殆ど歩けなくなると言われました、当然2日後に手術をして成功したのですがその後は毎日、病院に通う日が続きます、土曜日は仕事で来れない為に息子たちに頼みました、しかし、毎日通うのも結構しんどいものです、往復で2時間以上かかり病院にいるのも2.3時間いると計4.5時間失われます、加えて意識が回復した母親は骨折のショックと知らない場所で知らない人たちと一緒にいる事で一気に痴呆が進んでしまったのでした。



次回に続きます、いつもご訪問いただきまして心より御礼申し上げます。