380.褐色の花嫁.45 | マリンタワー フィリピーナと僕といつも母さん byレイスリー
ワタクシは1992年に錦糸町という街に降り立ち約20年間、タイ、フィリピン、台湾、バングラデシュ、ロシア、ルーマニア、コロンビア、中国、韓国という国の人の中に入り、男性も女性も関係なく彼等の色々な問題解決に協力してきました、入国監理局や役所にも何度も足を運び、住む場所を探したり、引っ越しを手伝ったり風呂の修理も何度か、勤め先まで紹介したり、いわゆる何でも屋で実は商売になるかとも思いましたがワタクシには資格がなく1人で動く事に疲れ3.4年やって断念しました。


しかし、多くの外国人の店などでは見られない彼等の姿を見れたり考え方を理解したり、心を通わす事が出来たと思っています、ワタクシはフィリピン関係のブログを見るなかで同じ匂いをするブログあったのでした、それが「フィリピン専門の行政書士」の岩崎先生のブログでした、先生も外国人の中に正に身を沈めながら彼等の役に立とうと尊い仕事をしているのがワタクシには手を取るように理解でしました。

ここまで来るのに相当ご苦労なさったでしょう、外国人相手だけで食べた行くというのはワタクシは大変な事だと思います、岩崎先生はワタクシのブログにも何度かコメントを頂いていたので失礼ながら連絡を取らせて頂くと近々東京に来るとおっしゃるのでそれでお会いする機会が出来ました、そして、その日ワタクシは例によって川崎で24時間の勤務明け、先生はその前の日に川崎でcmさんたちとの定例会に出て川崎に泊まり、ファーストフード店で約束しました。


しかし、5分、10分たっても現れません、15分後になって左手にお握り、右手にはカップヌードルを持ち、戦地から引き上げてきたようなリックサックを背負った人が入って来ました、「おっ、あの人だ」とワタクシが手を振ると先生も気づいたようです、すると、あ~ら不思議、先生が近づいてくると持っていたはずのお握り、カップヌードル、リックサックが消えているではありませんか、ワタクシは気付きました、きっとこれは岩崎先生のオーラなのだと。


実際にお会いした先生はワタクシと同じ体型でした、その後岩崎先生とワタクシは約2時間ほど話をしました、過去ワタクシが疑問に思っていた事を質問させて頂きました、そしてブロガーさんたちのお話しも、一番の親友はアンヘルスマスターのようです~、先生のボソボソと喋りながら夢の事は強く語っておられました。


さて、先生は亀戸にワタクシは錦糸町で桐田のオヤジと仕事の打ち合わせがあったので総武線の中で別れました、先生は現在フィリピンで講演会を開いたり、フィリピンから弁護士を招いて活発に動いておられます、大きな目標の為に動いているのは素晴らしい事です、外国人たちの為にもこれからも頑張って頂きたいものです、お握りとカップヌードルだけでなく栄養を考えたバランスの取れた食事をなさって下さる事をお願いしたいものです(因みにお握りとカップヌードルはワタクシの先生のイメージなので、先生の名誉の為に言っておきます、念のため~)、先生の夢をお知りになりたい方は先生のブログをお読み下さい、是非ともその夢を叶えて頂きたいとワタクシは思っております。


それから2日後、再び他のブロガーさんからメッセージがワタクシの元に届いた、ワタクシのつまらないブログを読んで頂いているだけでも有難いのに「一度お会いしましょう」というお誘いだった、ワタクシもその方の心暖まるブログを読んでいて興味深い方だったので、お互い連絡を取り合い日にちを決め手お会いする運びとなりました。


そうこうしているうちに、入国監理局より呼び出しの手紙がやってきました、ジョイの4000円の印紙を2枚とパスポートを持ってこいと言うことだけが書かれていて在留資格変更許可が出たともなんとも書かれていなかったのです、果たしてジョイは日本に滞在出来るのか、ハガキに書いてあった指定した日にワタクシとジョイは入国監理局に向かいました。



次回に続きます、いつもご訪問頂きまして誠にありがとうございます。