374.褐色の花嫁.39 | マリンタワー フィリピーナと僕といつも母さん byレイスリー
クリスマスも過ぎジョイも家にいる事に飽きてきたので手を繋いで地元の駅周辺に年末の食品の買い物に出掛けました。



バスに乗り込むと中は20人ほど乗客がいますが、全員ワタクシより明らかに歳上、即ち皆が高齢者達なのです、朝夕の通勤以外は9時から5時までは老人たちの時間帯、もちろん高齢者たちは買い物に向かいます、子供たちと同居している老人は少ないと言うことでしょう、ワタクシのマンションにも1人住まいの老人が3.4人います、更にこれから団塊の世代が本格的な老人軍団になり始めています。


近所では一軒家が次々に空き家になっています、住んでいた人は施設に入っていっているのです、ワタクシたちの番は直ぐやって来ます、そして、それを支えてくれる若者はたちは増えていかない、政府は目先の政策しか取らない、もちろん目先も大事ですが10年、30年、50年先を考えた長期政策を考えない、10年先には更に老人は増えて外国人の看護士たちに頼らざる得ないのは分かりきった事なのに相変わらずグズグズしているのです、いつから日本はこんな国になってしまったのでしょうか、政府の間違った政策の尻拭いさせられて疲弊するのは国民ばかりです。


さて、ワタクシたち二人が向かったのはまずは100円ショップです、皆様もご存知の通りフィリピーナは大好きなのです、ワタクシはジョイと別れて同じ階の電器売り場を10分ほど見て戻るとまだ時間が掛かると言うので脇にあるベンチシートで待っていると10分経過、20分経過、30分経過、そして待つこと1時間30分経過してやっとやって参りました、フィリピンへのお土産です、更にドンキホーテの香水売り場で500円のパーヒュムを10個、そして自分用に3500円のパーヒュムを1個、締めて11000円を.......当然、ワタクシが払ったのですが、これはお土産の一部に過ぎませんでした~。


食料品を買って帰ったワタクシたち、この頃ワタクシは二人の今後のプランを話し合って決めていきました、もちろん結婚する事が1番目です、ワタクシは痴ほう症が進んできて弱ってきた母親をおいてフィリピンに行くのは困難な為、ジョイを3月か4月に再度、短期滞在査証で来日させ在留資格変更許可申請を行うつもりでした、以前に錦糸町で何度か外国人たちの手伝いしていたので判っていたつもりでした、ただ当時から10年以上がたっていたので何処かが変わってしまっている可能性はあるのでフィリピーナと結婚した友人に教えてもらいました。


後は理由書に整合性があれば書類を集めるのは大した事ではありません、後はジョイにどの書類を次回来るとき何を持って来るかを自分で書かせて持たせました、来日は3月か4月に予定しました、ワタクシはジョイにもう一度確認しました
ワタクシ「本当に結婚するだよな?」


ジョイ「オー、アタリマエ シンパナイ、ディバー」


ワタクシ「お母さんと一緒でも問題ないか?」


ジョイ「モチローン、イカウノ オカアサンデショ」


ワタクシ「ジョイ、ありがとうな、幸せにするよ」
ジョイは1ヶ月ワタクシたち親子と一緒にいてフィリピンに戻りました、そして再度呼び寄せる為にワタクシは少しずつ準備を始めました、しかし、2月になり母親が背骨を骨折し1ヶ月ほど寝たきりになってしまいました、更に姉から手紙が届き母親にも用がある時は今後は電話でなく手紙でほしいと申し入れがありました、更に長男に母親が電話を入れるとその嫁が母親に対して「二度と電話しないで下さい!」と言われ流石の母親も激怒しました、人の心はわからないものです、ワタクシに対して言うのは構いませんが、育ての親と言うべき人に対するには余りにも冷たいものでした、母親にワタクシは悪いことをしたと思いました、しかし、3人の兄弟たちの本性を生きているうちに見せる事が出来たとの思いもあったのでした。


次回に続きます、いつもご訪問誠にありがとうございます。