337.褐色の花嫁.2 | マリンタワー フィリピーナと僕といつも母さん byレイスリー
虎ノ門にある会社、勿論当時50歳になろとしていたワタクシを雇おうかと言うのだから中小企業に他ならないですが問題は内容です、つまらない仕事なら断るつもりで面接にやって来ました。



事前に食品のメーカーと聞かされていたワタクシはインターネットで情報を見ておおよその知識を得ていました、食品プラス健康食品を扱う会社で工場は長野県の松本の近くにあり従業員は本社、工場合わせて約30人、ワタクシは路地を入った小さなビルの表札を見る目的の会社があり2フロアーを借りきっているのがわかりました、目的の階に向かい呼び鈴をならします。


一人の太ったオバチャンに応接室に通されると暫くして眼鏡を掛けた50代の女性と足が悪いのか杖をついた60代の男性が入って来ました、女性は社長で男性は会長で派手なネクタイにダブルの背広、変更グラスといかにも怪しい雰囲気を醸し出した人物でした、ここの会社の製品の自慢話を聞き終えて、やる気満々のところを見せ一時間ほどの面接を終え退社しました、結果は1週間後に連絡するという事で引き上げたワタクシです。


家に帰ると親父の入っている施設から連絡があり肺炎になり病院に搬送されたというのです、すぐさま母親と病院に駆けつけたワタクシ、しかし親父はその2週間後に亡くなりました、急性肺炎、老齢になると死因の原因になりやすい病名です、しかし不思議なくらい悲しくありませんでした、痴呆症になり4年、もはや家族の誰も認識出来ていませんでした、家にいるときは徘徊、暴力、お漏らしと油断の出来ない生活が続き、やっと市の施設に入る事が出来て家族の肩の荷は降りたものの週に2回はワタクシも施設に顔を出しました。


ワタクシは認識が出来なくなった時点で親父は死んだも同然だったと考えてしまいました、毎回施設に行く度に話しかけても答えない親父は見た目だけの存在しかありません、しかし母親はそんな父親でも必死に語りかけていました、過去色々あった二人ですがそこには愛があったのは間違いありません、こんなになってしまった親父でも母親に取っては特別の人だったのでしょう。


そして、通夜、葬式の件で次男の兄がやって来ました、ワタクシと母親は費用のかからない密葬を考えていましたが兄は費用は他の兄弟も均等に出すのでちゃんとした葬儀したい事を強く主張しました、兄は世界で有数の上場会社のシステムエンジニアでその時は部長になっていて自分の立場上、父親の葬儀をしないなど考えられなかったのでしょう、結局、次男の兄に押しきられる形で200万円以上の費用をかけて葬儀をする事になったのです。


しかし、葬式が終わった時に問題が起きました、葬儀に来た来訪者は7割は兄の会社の社員ですがその香典を兄嫁が誰に断るでもなく勝手に仕分けし持って帰ってしまったのです、これに母親が激怒しました、元々兄嫁とは折り合いの悪い母親、兄嫁はうつ病で何度も病院を出入りしていました、この時、兄が香典返しする為に持って行くのは仕方のない事だったでしょう、しかし、何も言わず持って帰ってしまった事、自分でやらず兄嫁にやらせた事で母親との間に亀裂が入ってしまいました。


更に葬儀代は他の兄弟からは全く何も話がありませんでした、実は長男、長女、次男はワタクシとは血は繋がっているものの母親が違うのです、3人の母親は別にいたのでした、ワタクシはこの時まだその事を知りませんでした、いやうっすらと気づいていたものの敢えて聞くつもりはなかったのです、兄弟たちに取ってはワタクシの母親は育ての親だったのですが、兄弟たちは親父の死を契機に母親、そしてワタクシと更に距離を取るようになっていったのでした。

そして、兄弟たちとある出来事でワタクシとぶつかる事になるのでした。


次回に続きます、いつもご訪問頂きまして誠に有り難う御座います。