56.ハルの微笑み.1 | マリンタワー フィリピーナと僕といつも母さん byレイスリー
とある風俗街、そこにタクシーから降りた一組のカップルがいた。


男はメガネに口ひげの日本人、一人はロングヘアーが良く似合いスラリとしたスタイルで肌が小麦色のアジア系の女性だ、女は旅行カバンを重そうに持ち、男の後に従ってすぐそばの喫茶店に入っていった。


男は備え付けの公衆電話で電話をかけ何事か告げるとスグに受話器を置いた、それから15分後にやや太めの一人の女性が入ってきた、その女性は一見日本人に見えるが実はこの街で名が知れた店の台湾人の美恵(みつえ)ママだった。


みつえママ「ご苦労様、良く来たわね」


メガネの日本人「全然、大丈夫でしたよ」


みつえママ「チュー アライ カー(名前はなんていうの)」とタイ語で女の子に話しかける。


女の子「コワン カー(コワンです)」


みつえママ「コワンか、じゃあ今は春だから、あなたの名前はハルでいいわね」


女の子は「ハル.....ワカリマシタ」とコワンはカタゴトの日本語で答えた。



ハルことコワンはラオスとの国境に近いタイのコーンケーンで生まれた、父親はコワンが10才の時に亡くなっていた。


病名は不明だ、貧しさゆえに病院にかかる事なく亡くなるのだから病名など分かるはずはない、この地域ではごく当たり前なのだ。


恵まれた国、日本では考えられないような事だが貧しい人逹の中では明日の食べ物さえない事も日常茶飯事だった。


母親を筆頭に幼い妹と弟がいたコワンが収入を得て家族を食べさせるには身を売るしかなかった、近所の若い女性逹も皆同じでそこには罪の意識などなく食べる為の自然の成り行きであり、そして彼女逹はあくまで仕事と割りきっていた。


13才で売春宿に入ったコワンだが田舎では入る収入が限られていた、早く「バンコクに行きたい 、そして稼ぎ、家が欲しい」それがコワンの夢であり口癖だった。


17才になり初めて念願のバンコクに行きカラオケクラブに勤めた、日本人を売春の相手に2年間働いたが夢の家を建てるには程遠おい稼ぎしかならない、そこに日本に行けば稼げるという話が来た。

確かにコワンの周りの日本から帰って来ていた女の子の中には大金を稼いでいた子もいた、日本で売春し家を建て家族に楽をさせていた。


しかし、大きなリスクがそこにはあったのだ、日本に渡るにはタイの組織に250万という借入金を背負わなければならない。


タイ人の若い女性が日本に来るにはフィリピーナのタレントと同じように3ヵ月或いは6ヵ月の就労ビィザで入国するか、タイの組織が作成する偽造のパスポートの観光ビィザで入国する方法があった。


コワンは組織が作成する偽造パスポートで入国する事を選んだのだ、しかし組織に払う250万円はない、後は日本の受け入れ側が250万円にさらに100万円或いは150万円を上乗せし350万円、400万円という金額を背負い売春して払わなければならない現実がそこにはあった。


日本で受け入れて250万円立て替える人達はさまざまだ、スナックのママ、同じ場所で働く女の子の日本人の恋人であったり、その筋の人であったりした、自分の費用を立て替える人を女の子逹はボスと呼んでいた。


ハルは多額の借金を背負っても日本に来る道を選んだ、例えイバラの道であっても家族の為、夢を叶える為に19才の春に日本にやって来たのだ。


みつえママ「じゃあ、これ250万円ね、数えてね」

メガネの男はおもむろに封筒の中身を数え始めた、日本人の男は女の子の運び屋だ、タイから香港、シンガポール、マカオなど等を経由して旅行を装って日本入ってくる、お金を持ち帰りタイ組織からいくらかのバーツを貰うのだ。


男はお金を数え終わり「じゃあ」と夜の街に消えていった。


よしえママ「ハル、今日から仕事する、疲れたでしょうから明日からでもいいよ」


ハルにはよしえママの言葉が優しく聞こえた、生まれてからこの方他人から自分の事を心配してくれる言葉を聞いた事がなかったのだ。


ハル「マイトン ペン フーワアン カー(心配いらないです)、シゴト スルヨ」


ハルは家を建て家族を食べさせる強い決意を持ってタイから日本に来たのだ、1日でも1時間でも休んでなどいられないという気持ちでよしえママと一緒に店に向かうのだった。



次回に続きます。いつもご来席誠に有り難うございます。