やはり新聞は読むべきだと思いました。今朝の朝日新聞です。

「出羽の守」の功罪

という記事です。「出羽の守」とは、記事中の解説によれば「……では」と外国の事例、見聞して得た知識などをよく引き合いに出して語る人。揶揄(やゆ)して使うケースが多い。

とあります。われわれ議員も「○○では…」という言葉をよくつかうと改めて思い返しました。「佐賀県武生市では」「豊島区では」などなどです。

この記事では…と書いて、また「出羽の守」をやっちゃってますが(苦笑)、

自民党も民主党も、ネット選挙に過剰な期待を抱いていました。でも、ネットで見えるのは雰囲気や感情に近く、理性的な「輿論(よろん)」とは別ものです。そこを区別しないと、都知事選の家入一真さんのように、ネットだけを見て「支持されている」と思えてしまう。

という指摘。

 ネット単体が現実社会にもたらすのは、幸か不幸か、現状では微々たる変化でしかありません。ネット選挙の解禁でも投票率は上がらず、若者の政治への関心も低いままです。しかし中長期的に見ると変化する可能性はある。その兆しは、13年の参院選で比例区から出て落選した三宅洋平さんに見いだすことができます。ネットで人を集め、音楽と演説のライブで盛り上げる。その様子を撮影して、再びネットに上げた。無名候補でしたが落選者で最多の17万票を獲得しました。三宅さんの手法を、自民党が模倣するといったこともありえます。ネットが政治を変えるとすれば、無名候補の革命ではなく、自民党の積極活用かもしれません。

 ネットで見えてくる世界は、いま社会を動かしている力学とはまた別の、しかし一つの側面です。それを認識した上で、目的に応じた両者の利用が重要です。「ネットでは」とただ言い続けるだけでは何も変わりません。(聞き手・尾沢智史)


(転載ここまで。青字が転載)

という指摘に1歳しか違わないけど鋭さが違う、西田亮介さん(立命館大学特別招聘准教授)の意見に啓発された朝です。