4月30日の朝日新聞に「重監房という地獄があった 群馬のハンセン病施設が再現」という記事が掲載されました。記事にはこうあります。

「重監房」と呼ばれた施設が、67年前まで群馬県草津町の国立ハンセン病療養所「栗生楽泉(くりうらくせん)園」にあった。全国で唯一、ハンセン病患者を懲罰目的で監禁した場所。昨年、初めて発掘調査され、国による人権侵害が改めて明かされた。負の歴史を伝え続けるため、園内に資料館として再現され、30日に開館する。(転載ここまで)

ハンセン病については、長く不治の病とされ、社会からの隔離政策がとられてきました。しかし治療方法の確立とともに「治る病気」であるとなって、従来の隔離政策は「誤り」であったと国が認めました。

とはいえ、長く全国のハンセン病施設に強制的に入院させられた人たちは高齢化といまも根強く残る差別と偏見のなかで社会復帰はむずかしく、いまも全国の施設で約2000人の方たちが施設内でのくらしをつづけています。

全国の施設は国立が13、私立が1つ(もうひとつは昨年閉鎖)ありますが、そのひとつ東村山市にある「多磨全生園」に昨日行ってきました。理由は、いま上の記事にある「重監房」が復元されているということ、それとこれからの施設の課題などを知りたいと思ったからです。

くわしくは別途書くつもりですが、全生園は清瀬の緑豊かなエリアにあります。正門前はよく車で通りますが、施設内にははじめて入りました。住居エリアはまさに昭和がそのまま残されていました。

また敷地の一画には保育園がありました。これはこれからの施設のあり方をめぐるひとつの方向性でもあると感じました。

そして最後に常設展にあった「重監房」の模型ですが、ただただ「絶望」という言葉しか浮かびませんでした。

記事にはこうあります。

■「暗黒・極寒・飢餓…差別の証拠を後世に」

 重監房の再現は、元患者らの強い要望だった。栗生楽泉園の入所者自治会副会長の谺(こだま)雄二さん(82)は「存在したこと自体が差別の証拠。必ず後世に残さないといけない」と話す。

 谺さんは19歳のころに楽泉園に転園後、すでに使われていなかった重監房を初めて見た。高い塀、分厚い扉。小さい頃から療養所で過ごし、大人たちが「草津送り」とうわさしていたのを覚えていた。「こんな恐ろしい所が本当にあったのか」と衝撃を受けた。

 谺さんは、入所者の処遇改善を求めた人権闘争や、「らい予防法」違憲国家賠償訴訟の先頭に立ち、重監房に食事を運んだ人に聞き取り、証言集を発行。「水分が足りず、布団の端を外に出して、雨を吸わせてしゃぶっていた」との証言もあった。谺さんは「暗黒、極寒、飢餓、孤独。すべての地獄があった」と話した。

 重監房は入所者の証言や考古学、建築学の専門家らの検証を経て再現された。栗生楽泉園の入所者自治会長で、重監房の廃止前から園内で暮らしてきた藤田三四郎さん(88)は発掘調査を「実に丁寧に誠実に調べてくれた」と評価。「国による差別の記憶を残し、同じ過ちを二度と繰り返してほしくない」と訴える。(井上怜)(転載ここまで)

こういった暗黒の歴史は覆い隠すのではなく、同じ過ちを繰り返さないための教訓であるべきだと改めて感じました。