日本では国連というと「正義の味方」的イメージがあります。

実際はWikipediに、

国際連合(United Nations、UN)は、国際連合憲章の下、1945年に設立された国際組織である。主たる活動目的は国際平和の維持(安全保障)、そして経済や社会などに関する国際協力の実現である。なお、原語のUnited Nationsは第二次大戦中の枢軸国に対する連合国を指す言葉であり、中国語等では「国際連合」ではなく「連合国(联合国)」と呼ぶ。

2011年7月現在の加盟国は193か国であり、現在国際社会に存在する国際組織の中で最も広範・一般的な権限と、普遍性を有する組織である。

とあるように、第二次世界大戦のときの枢軸国の論理に基づく組織であって、はっきりいえば欧米(ドイツ、イタリア除く)の論理が優先されるように思います。


潘基文さんが2006年に事務総長に選出される際の経緯についてWikipediaには次のようにあります。

国連事務総長への立候補

2006年2月、国連事務総長選挙に立候補することを表明した。他の有力候補にはインド人の国連事務次長(広報局長)シャシ・タルール、タイ人の副首相スラキアット、スリランカの元国連事務次長(軍縮局長)ジャヤンタ・ダナパラの名があげられたが、7月24日に行われた国際連合安全保障理事会の各理事国による予備投票において潘は最も多くの票を獲得し、有力候補の一人となった。

2006年10月2日、国連安全保障理事会は4度目の予備投票を行った。この結果、拒否権を持つ常任理事国5カ国が一致して潘を支持し(安保理全体では14カ国の支持)、当選が確実となった[7]。

潘は厳しい日韓関係の中でも、日本の外務大臣麻生太郎(当時)との会談で信頼関係を醸成した点など、“外交のプロ”と言われ日本外交当局の評価も高かった。国連大使の大島賢三は「アジアの優れた候補から選出するという目的に沿った方向で事態は動いている。日本政府としての態度を最終決定した上で、正式投票に臨む」と語った。

潘はアメリカ合衆国と縁が深く、アメリカ政府との関係も良好と見られる。10月3日、潘の当選が確実となった予備投票の結果を受けて、アメリカの国連大使ジョン・ボルトンは「米国はこの結果を歓迎する」と述べた[9]。

2006年10月20日、ソウルを訪問した麻生太郎は、潘が次期国連事務総長に当選したことについて「我々もアジアとしても大変誇らしい」と祝福した。これに対して潘は「日本は国連で活動を活発にしている重要な国だ。安保理議長国として努力していることを評価する」「事務総長に就任したら、日本と緊密に連携、協調していきたい」と述べた。

とあります。このときの言葉を忘れないでいただきたい。