学生のころ、もっと英語を勉強しておけばよかったと思っている、しもだ玲(志茂田玲)です。

ネットに下記のような記事があっておもしろかったので、転載します。


2012年3月23日 08:38 (サーチナ)

ネイティブスピーカーとノンネイティブの立場の逆転現象 

世界英語の使用者は、英語を第二言語として使用しているアフリカの国々やインドの人口増加とともに、年々増加の一途をたどっています。英米人の英語とは異なる英語を話す人々が、ネイティブスピーカーをしのぐようになり、世界で使用される英語の質が問題となってきています。

今から50年ほど前までは、英語ネイティブスピーカーの数は、中国語を除いて、他の言語をはるかにしのいでいました。しかし、今日ではネイティブスピーカーとしての英語母語話者の数は、スペイン語話者や、ウルドウ語とヒンズー語の話者たちよりも少なくなっていて、米国CIAの調査によってもその数は3億2千9百万人とされています。それに対して75ヶ国の人々が日々英語の使用される環境にあり、その総人口は22億人になるとEnglish as a Global Language、 2nd Ed (2003)の著者であるクリスタルは述べています。それらの国々に住む人すべてが英語を使用しているわけではないにしても、およそ15億人から18億人の人々が実際に英語を使用して生活していると言っても過言ではないというのが通説です。

著書の中でクリスタルは、インドの状態についても説明していますが、彼によれば、たぶんインドの総人口の3分の1の人々が英語で会話ができ、少なくとも3千人から多くて3億3千万人の人々が英語を話し、理解するといってもよいであろうと書いています。彼は、BBCやCNNその他の放送やインターネットによる英語情報の急増などから、世界各地のノンネイティブ英語話者はさらに増えていくことであろう、そしてその結果、英語そのものが急速に変化していくに違いないと予想しています。そのような状況からして、英語はもはやネイティブスピーカーの財産とはいえず、世界の人々の共有財産であるというべきであるという声も上がっています。

そのような時代を迎えている今日、国際ビジネス英語の役割や使命を考えるとき、使用される英語の意味は、1国や1地域といった限られた場所でのみ有効であるということでは不十分であり、その使用方法やその語句の意味にも、国際的な広がりが必要になってきます。この問題に関しては、2つのことがいえることでしょう。1つは、そこで使用される英語は、英米の人間にしか理解できないものであってはならず、リンガフランカ(共通語、あるいは共通の通商語)として広い地域にわたってより多くの人々に共通に理解されえるものでなければならないということ。そして2つめは、言葉の意味には、必然的に人的あるいは地域的に特有な性格がそなわっていて、それがある意味では、英語の汎用性の阻害要因になるということです。2つの実例を以下に上げて、その意味を簡単に説明しておきましょう。

数年前の話ですが、ハンガリー人の土木技師が、サウジアラビアで7―8ヶ国の技術者からなる国際チームのメンバーとして働いていたときのことです。彼らはお互いに英語を使用して完璧に意思疎通ができるのに、そこにいた英国人の技術者とだけは、どうしてもうまく意思疎通ができません。そのため、彼が代表者として、その英国人に対して、チームメンバーの総意であると前置きし、「どうか、これからは、お願いだからみなに分かる英語で話してくれないか」と申し出たとのことです。国際ビジネス英語のあり方を考えた場合、この2つの事例のように英米人たち英語を母語とする人々には面白くない現象が出てくることは容易に考えられることでしょう。しかし、英語の汎用性という面からは、英米人たちの寛恕と譲歩を願いたいものです。

別の機会ですが、フランスに留学していたフェンシングの選手である各国の大学生たちが、ある晩寄宿舎のラウンジで楽しそうに大笑いしながら話をしていました。そこへ、やはり留学中の米国人の大学生が入ってきて、しばらくその会話を聞いていた後に、「お前たちはとても楽しそうに話し合っているが、いったい何語で話をしているのか?」と質問してきました。何人かの学生たちが「もちろん、みんなに分かる共通の言葉、英語に決まっているじゃないか」と答えたところ、その米国人は唖然として、部屋を白くない現象が出てくることは容易に考えられることでしょう。しかし、英語の汎用性という面からは、英米人たちの寛恕と譲歩を願いたいものです。

別の機会ですが、フランスに留学していたフェンシングの選手である各国の大学生たちが、ある晩寄宿舎のラウンジで楽しそうに大笑いしながら話をしていました。そこへ、やはり留学中の米国人の大学生が入ってきて、しばらくその会話を聞いていた後に、「お前たちはとても楽しそうに話し合っているが、いったい何語で話をしているのか?」と質問してきました。何人かの学生たちが「もちろん、みんなに分かる共通の言葉、英語に決まっているじゃないか」と答えたところ、その米国人は唖然として、部屋を出て行ってしまったそうです。次回には、そのような現象の具体的な事例をあげてさらにこの問題を説明していきたいと思います。(執筆者:亀田尚己 同志社大学商学部・同大学院商学研究科後期課程教授 編集担当:サーチナ・メディア事業部)

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