数年前からお世話になっていたお店が閉店することになり、今日さきほどそのお店のママの送別会が開催されました。

お店の常連のみなさんとはいろいろご縁があり、30人ほどの出席者の方たちのほとんどが顔なじみということで大いに盛り上がりました。

ママは熊本の出身ということで、参加されたなかにいた同郷の方が民謡「田原坂」を歌われました。話を聞いてみると、3月3日は西南戦争の最大の激戦である田原坂の戦いがはじまった日だそうです。

ということで、ネットで調べてみました。

西南戦争(または西南の役)
1877年(明治10年)に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱である。明治初期の一連の士族反乱のうち最大規模で日本最後の内戦となった。

また、田原坂の戦いは、

1877年、田原坂における西郷隆盛率いる薩摩軍と明治政府の官軍との間で行われた西南戦争の最大の激戦。薩摩軍は官軍の守る熊本城を包囲、北から熊本への唯一の補給陸路である城北防衛の要地田原坂に幾重にも陣を重ね、官軍の熊本入りを阻止しようとした。緒戦は薩摩軍が優勢に進めたが、警視庁抜刀斬込隊の活躍により次第に官軍の優勢になり、薩摩軍地・七本柿木台場を陥落させ、背後からの田原坂本道方面を守る薩摩軍を攻撃し敗走させた。

ということだそうです。

民謡の「田原坂」は、
  

    雨は降る降る 人馬は濡れる
    越すに越されぬ 田原坂
               
    右手に血刀 左手に手綱
    馬上ゆたかな 美少年 


という歌詞だそうです。この美少年については、西郷隆盛の腹心の部下であった村田新八(西郷とともに鹿児島の城山で死ぬ)の長男・村田岩熊ではないか、といわれているそうです。岩熊は享年19歳、アメリカに留学した俊英だったそうです。

ちなみに熊本には「美少年」という日本酒もあります。

さて、そういういい会でしたが、明日は朝から会合があり、12時前には帰宅しました(残念!)