昨日の取材の件、こちらの方にもUPしておきます。

が、できれば

ここをみていただくとアクセスランキングがあがりますので(笑)

いまなんと1位です!

以下、練馬区議WEB議員新聞のHPより…(編集室に感謝です)


しもだ玲議員インタビュー

Q.議員になろうと思ったきっかけを教えてください。

A.私は練馬区の大泉で生まれて、光が丘で育ちました。小学生のころから消防少年団をはじめいろいろと地域活動をやっていたこともあって、将来は地域活動を仕事としてやっていきたいと漠然と思っていました。
大学生の時に国会議員のインターンをやりました。それで政治の世界を目指そうと思ったんですけど、社会勉強のため1年間だけは会社勤めをしました。広告代理店でしたが、あまり大きなところではなかったので、企画立案、プレゼンテーションなどオールインワンのやり方を学びました。
その後、国会議員の秘書になりました。いずれは区議選に出たいという申し出をして入職しました。議員秘書の仕事は会社員時代と大きく違う世界でしたが、社会人としてのスキルは同じです。社会人としてのマナーやアポイントの大切さなどというものは会社員のときと同じですが、国会議員という傘の下で仕事をする前に、民間の会社員として経験したことは自分にとってのインキュベーションだったと思っています。
秘書としての3年間はひたすら人との出会いでした。地域の課題を知ることも大切ですが、なにより多くの方たちとの交流ができたことが最大の財産でした。
区議選に向けて本格的な活動をはじめるため、2010年10月に秘書を辞めました。慰留もされたのですが、入職時の自分の思いに対して挑戦したいという気持ちが強かったためです。選挙までの約半年間、無収入になるわけですが、ともかく決意しました。今度は秘書時代と違って人と会うこともそれまでとは大きく違ってきました。まさに「徒手空拳」という言葉を実感しました。それでも結果を出せたのはひとえにあきらめなかったからだと思っています。もちろん多くの支援者の方たちに有形無形の支えをいただきました。
選挙期間中、事情があって街頭ポスターを1枚も掲示しませんでした。知人からは「ポスターをみないけど、本当にでるの?」とか言われたりもしましが…。
で、自分なりに発信できるツールをと考えてはじめたのが、ブログやツイッターでした。印象的なのは、3月11日の東日本大震災のときでした。縁あって知人のNPOと一緒に支援活動をしたのですが、そのころにアクセス数がいっきにUPしました。ああ、自分の活動を見ていてくれる人がいるんだ…と実感しましたね。その後の選挙期間中もほとんど寝る間もないほどの忙しさだったんですが、自分の活動を見てくれている人がいる、というのは本当に励みになりました。

Q.無事当選されましたが、議員になっていかがですか?

A.今はひたすら勉強しています。議員になって渡された区の関係資料は平積みにすると約1mほどになります。特に9月から10月の決算委員会のころは夜中までメモ紙を片手に資料を読みました。
私は当選時に最年少26歳だったわけですが、選挙期間中に「若すぎる!」「若造になにがわかる!」という声もいただきました。駅頭でそういう話を直接されたこともありましたが、そういうとき私は「私がいまの制度で年金を受給するとすれば、2049年からになります。そのときの日本がどうあるべきか、ということは私たち1980年代生まれの責任です。それまでの40年ほど私たちは税金や社会保険料の担い手ですから、この世代の意見を主張させてください」という趣旨の話をしました。こういうとほとんどの方がわかってくださいました。みんな真剣なんですね。
私たち地方議員は議員年金が廃止されたため、国民年金に加入します。いまの制度のままでは65歳過ぎた頃からの生活設計はまったくできません。これはフリーターや非正規雇用の多い私たちの世代の共通の問題点なのです。若造かもしれませんが、納税者のひとりであり、これから何十年もそれを負担していく責任世代なのです。どんな立場であれ、それを大切にしたうえで、高齢世代をはじめさまざまな世代と折り合いをつけていく必要があると考えています。
また練馬区の問題ですが、70万人という人口は先ごろ来日して大きな話題を呼んだブータン国王夫妻の母国の人口に匹敵します。しかし練馬区にはまだまだ70万人が暮らしているには基盤整備が足りないと思います。
私は選挙期間中「練馬にランドマークを」と訴えてきました。具体的には「としまえん」に多目的スタジアムを建設できれば…という東京主導のプロジェクトに賛同しています。これは単にサッカー場ができればいい、という話ではありません。最先端の防災機能をもった公園をベースに避難所にも転用できる施設を配置し、区民の安心安全を考えることが第一で、さらにスタジアムを中心にした基盤整備、道路やホテル、大江戸線の伸延、エイトライナー構想、外環道の拡張などをふくむ壮大な練馬の未来プロジェクトです。
実現までには10年20年という年月が必要になりますが、そのためには若い力が必要だと自負しています。

Q.練馬区もそういうことの発信力が必要ですね。

A.改めて思うのですが、区のさまざまな情報について「そういう話は知らない」という方も多いです。区の情報の基本的なものは区報ですが、区報を受け取っていない人も多いです。またホームページでの情報提供もされていますが、インターネット経由の情報というものは本人がアクセスしない限り知りえないわけです。ここも課題が多いのですが、たとえば「としまえんを都が買収?」というニュースが流れたとき、私のブログは通常の4倍ほどのアクセス数になりました。練馬区もそういう話題性のあるテーマが増えれば、区報やホームページなどへの着目度も高まると思います。そういった意味での発信力は、区役所だけではなく私たち区議会議員の課題でもあると思います。

Q.常任委員会は文教委員会ですね。

A.教育は国の大きな柱のひとつであり、その実践の現場である区の文教委員という仕事は大変に責任が重いと感じています。
いまは東日本大震災後の福島第1原発事故による放射能の問題が委員会でも大きなテーマになっています。これはこれで重要な課題なのですが、教育の現場で今後のためになにをしていかなければならないか、ということを私自身は大切に考えたいと思っています。たとえば国際化がさけばれるなかで、小学校の英語教育をどう効果的に実施していくか、また障害児教育や少子化のなかでの教育環境の充実、それと今話題になっているIT教育など、多くの問題があります。教育の問題は時間もかかるし、万一の場合の取り戻しもできにくい分野です。しっかりと腰を据えて取り組んでいきたいと思っています。

Q.最後に今後の抱負を。

A.区議会議員の仕事は、行政のチェック機能が最大の役目です。しかし区役所の仕事は膨大で多岐にわたりますから、その全体像をつかんでチェックしていくことは至難の業です。また議会はさまざまな会派の方たちで構成されていますから、その意見集約もむずかしい。民主主義という概念は「多数決」の論理ですが、私の所属する「区議会みんなの党」は残念ながら少数派でなかなか意見がとおりにくい。ということで逆に「少数意見」の大切さを身をもって知り、そこに潜んでいる区民のための「最善の利益」を考えていく、そういうことに力を注いでいきたいと思っています。


しもだ玲