自分の錯覚か他人が寒さに鈍感なのか、すっかり夜は冷えるようになってきた。


大学の構内には、凌雲祭(文化祭)の準備をする人たちが、半袖で準備を進めている。


彼らの凌雲祭への熱い想いがそうさせるのか…。


自分は、温かい研究室で、コーヒーと静寂に包まれながら、卒論執筆を進めている。


なんと心地よい空間だ。


価値観とは、人をこうも違った道に歩ませてしまうのかと改めて感じさせられる。


彼らは、何に想いを馳せ、何に興味を持ち、何に突き動かせれているのだろうか。



自分の今やっていることが、正しいかどうかなんて分からない。


でも、僕は一歩一歩歩み続ける。


研究者の道を…。


きっと想像以上に険しく、幾多の困難が待ち受けていることだろう。


この道を選んだ自分を呪ってやりたいと思うこともあるだろう。


でも、自分の意志で決めたこと。言い訳を自分にしても意味がない。


文化人類学研究者である自分が言うべき言葉ではないかもしれないが、この世は、弱肉強食の世界だ。


強いものが活き、弱い者は堕ちていく。その世界の適応者が世界の新秩序を築いていく。


そして、弱者は虐げられ、搾取されていく。搾取されていると、気づくこともないまま。


嗚呼、なんとこの世は、儚きものか…。



話がだいぶ逸れてしまったが、今夜はよく冷える。



最近ニュースを見れば、毎日のように取り上げられている問題だ。

注目することで、その諸問題を意識化するのはよいことだと思うが、そう単純な問題ではないというのは、衆知のことである。

どちらのイデオロギーも傾いてしまっており、このままだと何の解決もなされないまま、ただただ溝が深まるだけになってしまうのではないか。

尖閣諸島の領有権の主張の正統性としては、日本政府の主張の方が資料からみて少し分があるように思われるが、だからと言って中国側の考えを突き放すべきではないと思う。

突き放したところで、何も生まれない。文句をたれるのは、気のきいた幼稚園児でもできる。

国際社会の一員として求められるのは、やはり対話と協調の重要性を相互が認識し、共に世界を牽引できるような寛容の精神とコスモポリタンの意識をもった懐の深い国家なのではないか。

二人の人間がいたら、そこに障壁や認識の齟齬がうまれるのは、当然のことである。文化が違えば、尚更のこと。

もう少し、執政者がお互いの文化をより深く認識していたら、この問題は、ここまで深刻化しなかったことだろう。

今もっとも重要なのは、どちらが正しくどちらが間違っているということではなく、この問題を契機にどのように相互理解や認識、協調の姿勢を築いていけるのかというところにあると思う。

地球は一つ。お互いを傷つけあい、自滅して何になる?

大人たちよ。もっと大人になってよ。