残酷な映像に慣れていないため、

気持ち悪い、怖い、っていうのだけが残った感じ。




楼蘭のブログ



狂犬病にかかった犬を見て、あれが犬の本質なんだとは思わないように、

ほんのごく一部のずれすぎた個体を取り上げて、これが人間の本質だ などと思うのは、

本当の答えや絶対的な価値観が、何処かにあるはずだという思い込みから生じる勘違い。

ある人の普段目にしない一面は、ほとんど使われることのない一面なだけであって、

その人の本性っていうことではないのと同じ。

隠された部分、普段目に付かない部分が真実だって思ってしまうのは、何の影響なんだろう。



家族が集まっている場で鶏をしめるのは、勘弁して欲しいなと思うが、

マグロの解体ショーを見に行くことは、さほど何とも思わない。

人間同士がかかわって生きていく以上、ある程度共通の価値観は必要になってくるが、

それは地域や時代の状況によって相対的に変わってくる。



愛犬家殺人事件。大事に育てた犬を殺して処分していくうちに、

犯人の感覚は徐々にずれていったのかも知れない。

この映画の残酷なシーンも初めは目を背けたが、徐々に慣れていった。

それは私の価値観が、映画を見る前と比べて少しずれたのであろうか。



自分は同じ立ち位置に居ながら対象を観察しているような気でいるが、

横から見ていると私が対象に引きずり込まれているのが見えるのかもしれない。


彼女が言いたいことは、そういうことなのかな。「慣れないで」と。