久しぶりに抱腹絶倒の本を読みました。
笑いのツボはもっぱらプロレスの話でしょうか。著者は大のプロレス好きだそうで、プロレスラーが放つ言葉を、言語学に置き換えるという技を次々繰り出すのが堪らなく可笑しくて笑えます。
けどプロレスが好きでなければ面白くないということはなく、その他のギャグも満載なので大丈夫です。
昭和の時代プロレスは国民的スポーツでとても人気がありました。私は子供の頃、プロレス好きの父の影響で一緒にかなり熱心に観ていたこともあり、この本に出てくるレスラーの名前を見ると忘れていた記憶が蘇ってきて、そういえばそういう人いたな、とかトレードマークの色は赤だったな、とか思い出して懐かしくなりました。中でもお気に入りだったのは藤波辰巳さん(今は藤波辰爾になっているそうですね)でしたが、この本の中でいじられまくっており(笑)藤波辰爾さんのあだ名がドラゴンで、技のみならず行動にまでドラゴンなんとか、という名前が付けられているという話は、本当に面白くてまさに抱腹絶倒でした。
でもただの面白い話にとどまらないのがこの本のすごいところで、ちゃんと「AはBだ」と「Aが Bだ」の問題とか、まさに今勉強中の話も出てくるのでとても為になります。
このところ、突然言語学の本を読むことになって、つくづく自分には向いてないなと思うようになりました。嫌いとかではなくて、ただでさえ感情や思考を言語化するのが面倒だと思っているのに、言葉そのものを言葉で説明しようとするこの世界、どんなところ?!と思ってしまいます。それができなければこの世界やっていけません。そういう意味でも到底無理です。
じゃなんでこんなことを勉強しているのか、という話なのですが。
この間、日本語ボランティア教室で、パキスタンから来た人に「先生はなぜ日本語を教えようと思ったのですか?」と訊かれました。理由は色々あるけどとりあえず教えるのが好きやから、ということを話したように思います。
けど家に帰って改めてこのことを考えていたら、思い出しました。
私がぼんやりと語学の先生もどきをしたいと思った初めての時は、ドイツで語学学校に通っていて4ヶ月目のコースが終わった日のことでした。
2ヶ月で1コースだったので、ちょうど2コース目を終えた時だったのですが、私たちのクラスを受け持っていた先生がコースが終わったら自宅に生徒たちを招いてお茶をするのが恒例行事になっていたようで、みんな招待されて先生のご自宅に行きました。
その時なぜか、私がチェロが弾けるという話になり、みんなが口々に「えーじゃあ演奏して!」と半ば社交辞令的に反応してくれたのですが、もちろん、そんな楽器ないし、そもそも人にお聞かせするようなレベルでもないし、とかで、適当にお茶濁してこのまま次の話題に行くかと思っていたのですが、先生が「楽器あるよ」といって自宅に置いてある楽器を持って来たのです。「え?!本当に演奏するの?」と自分でもびっくりして、「さすがドイツやな。どこの家にも楽器が置いてあるんか」と感心しつつ、当てずっぽうで「さくらさくら」を演奏しました。
まあその場はそれで盛り上がってよかったのですが、それが私の中では、それまでとにかくドイツ語が全然わからなくて教室の中でも小さくなっていた自分に初めてスポットライトが当たった瞬間で、生涯忘れられない経験となりました。
あの先生のご自宅にチェロがあったっていうことがそもそも奇跡やな、と思っていたのですが、奇跡はそれだけで終わらず、なんと次の日に、それまでホームステイしていたお家の隣の家に住む娘さんが、チェロ弾けるんやったら、一緒に弾こうとお誘いしてくれたのです。
「家に2台もチェロがあるんか!」
さすがドイツやな、と思いました。
初めて顔合わせて、初めて一緒に演奏するのに、言葉も全然いらず、ただただ一緒に演奏するのが楽しくて、二人で笑いながらひたすら合奏しました。そして、どうして2ヶ月も隣で住んでたのに、もっと早くカミングアウトせんかったんやろうと後悔しました。
ドイツに来ても言葉が通じなくて、友達も日本人以外にできなくて、何をしにここに来たん?と自問自答して、楽器さえあれば言葉なくても友達ができたのに。
残念ながら、次の日にはもう別の場所に移動することになっていたのでその楽しい時間は終わってしまいました。でもその時から、絶対日本に帰ってまた楽器弾こうと思っていました。早く帰りたい。あんなにドイツに来たかったのに、今は楽器を弾くために1日でも早く帰りたいと思うようになっていました。
話がどこまで脱線するん、て感じですが、その大事な気持ちに気づかせてくれたのは、他でもない、自宅に招いてくれたあの先生だったのです。
あんな先生みたいなことがしたい、と心の中でうっすら思いました。でも語学は苦手。多分そんなことをすることはないとわかっていたのです。が、語学を教えることよりも、もしかしたら全然関係ないことであっても、あの先生が外国から来た生徒に何かしてあげたいと思っていたその気持ちが、私の人生に大きな影響を及ぼしてくれたように、いつか自分もそんなことができたらいいなと思ったのです。
それでようやく結論に辿り着くのですが、どうして日本語を教えたいか、教えるというよりは実際は、日本語ボランティアで活動していきたいかということなんですけど、そのパキスタンから来た女子から、そういう質問をされなければ、そのことを思い出すこともなく、あんなに好きだったチェロのことをただの楽器と思っていた日常を変えてくれることもなかった。そういう出会いがあるから、この活動は楽しいと思える。そのためには言語学も勉強して・・・・。
夕食のデリ・バリシリーズです。
お酒の「あて」だけ作って、というリクエストに。
(「あて」って方言?)
ジャガイモとたらこ、アボカドとマグロ、シラスときゅうりの酢の物
「パスタが食べたい」というリクエストに。
イワシのパスタ作りました。
これは自分が作りたかったヤンニョムチキンをお魚の「ヨコ」で作ったやつ。
鯛の味噌煮込み
鶏もも肉の回転風
どれも全てネットで「きょうのばんごはん」で検索して出て来たレシピで作ってます。多いのは、クラシルとDELISH KITCHENのサイトです。毎日美味しくて簡単なレシピをありがとうございます🙏🏻
お料理運ぶのに、ワゴンを義父が買ってくれたのですが。
絶対乗る猫😄