【先生とのやり取り・二年生の時】
※長男りんたろうの学校での事、覚え書き。
二年生に入り先生は新任の先生に。
りんたろうは相変わらず不安が高くなると泣き崩れて学校に行きたくない日が時々ありました。
一年生の時とは違い、先生の話は随分頭に入るようになり、いろいろな事に見通しもたつようになり、OTの成果も出てきて不得意にもそこそこチャレンジする気持ちも出てきてかなり積極性も出て来ました。
学校のお友達と外に出かけて遊んだり、たまに学校に残って遊んだりもする様に。
二年生になってからは
お勉強の部分での不安が高まってきました。
協調運動障害の為、手先も眼球運動も不器用。
だけど性格上、完璧にやりたい気持ちはおおきい。
自分だけ出来ていない、自分だけ、という不安も高い。
そんな中で、
宿題は一年生の時より多くなり、
授業の中の書き写しも多くなってきた様子。
字もまだしっかり身に付いてはいなくて、自分が思うようにも書けない、でも、授業の中では書き写しが多く。
書き写すだけで精一杯で身体もカチカチ
頭の中もパニック状態。
家では、一文字書くのも、5回も10回も書いては消し書いては消し、うまく書けないと泣き暴れて宿題をしていました。
そんな調子だから、
与えられた量を全部自分の思い通りに仕上げることがなかなか叶わず、宿題が出来てないなら明日は行けない、
そんな訴えが増えて、
チックや音声チック、独り言が家の中で酷くなり、見ているだけで、こちらもストレスになる程になりました。
算数の宿題も
落ち着けばそれなりにしっかり出来るのですが、
計算問題が片方のページにずらっと20問、片方には文章題や穴埋めが10問のようなプリントは、見ただけで、パニックになり落ち着くまでに時間と体力が消費されてしまう、そんな状態でした。
二年生に入ってから私が立てた目標。
下記の内容をりんたろう自身が納得できる様になる事。
●宿題は完璧に出来る事が大事ではない。すべて出来なくても、出来る範囲を精一杯力をそそいで取り組めばよい。
●みんなが出来ている、出来ていないはりんたろにとって問題ではない事。
●完璧を達成する事より、いい加減をおぼえる事、許せるようになる事。
いい加減とは怠けではないこと。
●数をこなす事にこだわらない事、みんなと同じように、にこだわらない事。
上記を先生とも共有の上で、先生にお願いした事は、
授業での黒板の書き写し、教科書からノートへの書き写しの負担を最低限にしてもらう事。
書き写しに労力をとられ、本来、学ばねばならぬ事が頭に入る余裕が無くなるので、
あらかじめ黒板に書く内容などをコピーしてノートに貼ってもらい、考えて書き込まねばならぬ部分だけを書けばよいようにお願いしました。
算数宿題に関しては
20問だと取り組む前に気持ちが乱れて思考が停止してしまうので、
その中から先生に何問かピックアップして取り組むべき問題のみに丸をつけて貰いました。
また、ドリル課題に関しては、基本的に、問題含めすべて書き写して取り組むお約束がある様ですが、それもドリルをコピーしてノートに貼り付け、直接そこに答えを書き込みする形にして貰いました。
国語宿題に関しては、
上記の通り、一文字書くのになんども消して書き直しをする為、すべてを納得いくまで書くまでの精神的な体力が残らない為、何十回も漢字の練習をするより、数個を納得いくまでしっかり書く事で丸、という事にして貰いました。
本人には、先生がそれでいいと言っている事をなんどもなんども繰り返し伝えて、そのやり方で頑張れたらいい事を繰り返し繰り返し伝えて、半年ぐらいほど掛かって、納得。
やっと学校への不安が軽減してきて、落ち着いて宿題にも取り組めるようになってきました。
自分で自分のコンディションを見て、自分自身で宿題のやる問題の数を増やしたり減らしたりしながら、最後の方では自分の判断で、出来るものはみんなと同じ様に課題をこなして提出していた様です。
途中、みんなとひとりだけ違う取り組み方や宿題の数をお友達に指摘されるのが嫌で、それ自体がストレスになった事もありますが、
先生自体が、上記の配慮までに手が回らなかったりという不安定な状況だったりもして、
それが何となくりんたろにはよかったのか、自分判断で、いい具合に調整して取り込む術を獲得した様で、そこもうまく乗り越えていました。
全部できなくても、それでも大丈夫なんだよ、という共通認識が先生とりんたろ、わたしの中にある事が大前提の中で、指示がないなかでどの様な取り組むかを本人なりに考えてするやり方を身に付けた様です。
自分だけ、みんなと違う課題だという事にストレスを感じる、という話をOTの先生に相談した時、宿題もやり方も何パターンかをこどもたちがそれぞれのコンディションに合わせてみんなが選べたらいいのにね!という提案を聞いて、
確かにそれだと、りんたろ以外にも困りがあるこがいた場合、みんながラクになったり安心したり出来るしいいな、と感じました。
そんな感じで二年生1年間を終えました。
泣いて学校に行けなくなったり、不安でチックが酷くなったりもありながら、本人の不安と共にわたし自身の不安や戸惑いもありながら、
お互いに気楽に過ごす術を身に付けながら歩んだ2年間でした。
3年生になったらまたどんな事になって行くかは分からないけれど。
しんどくなったら、リフレッシュするのも大事、と、リフレッシュ休暇制度を勝手に取り入れている我が家。
それは長女も同じにして、
ちょっと心や身体が疲れた時は、熱がなくても、学校をお休みしてもいい制度を取り入れて、先生にも連絡ノートに「今日はリフレッシュ休暇です。明日は元気に行きます」と書いて伝えています。
それは我が家流のやり方。
わたし自身不登校ぎみの小学生だったので、その頃の自分の気持ちを思い出しての、わたし流。
パパは怒りますが。
行かなあかんもんは行かなあかん。
いい加減なこになる、すぐ逃げ出すこになる、と。
結果はどうなるのかは分からないけれど、ダメな弱々人間になっちゃったらわたしの責任やな、と思うけど、
しんどい気持ちを少し理解してくれて、一緒にズル休み(リフレッシュ休暇)をたのしんでくれる相手がいて、そんな中で、少しずつ今までがんばれなかった事もがんばれるようになって来たから、わたしはそんな事も悪くないかな、、、と、思っています。
消費した分を蓄える為の時間が、みんなよりちょっとたくさん必要なこなんだって、思えば、その時間も当たり前にりんたろには必要な時間。
ゆっくり親子でしんどいことを話したり、しんどいこと忘れてあほみたいに笑ったり、釣りに連れ出して貰ったりなんて。そんな経験もいいかな、と。
今はそんなやり方だけど、またこれからはりんたろらしいリフレッシュの仕方を身に付けていってくれるに違いないと。
きっと無駄な時間なんてないはず。
さて、いっくんはどんなやり方で学校生活を乗りこなして行くのか、たのしみです。