韓国ミュージカル
「マリー・アントワネット」
10周年記念公演
𝐌𝐮𝐬𝐢𝐜𝐚𝐥 𝐌𝐀𝐑𝐈𝐄 𝐀𝐍𝐓𝐎𝐈𝐍𝐄𝐓𝐓𝐄
𝟏𝟎𝐭𝐡 𝐀𝐍𝐍𝐈𝐕𝐄𝐑𝐒𝐀𝐑𝐘
2024年2月27日~5月26日
〖第2段〗ABOUT マリー・アントワネット
⚜生涯のタイムライン⚜
38年の短い人生でしたが、誰よりも波乱万丈だったマリー・アントワネットの人生🌟
王室の少女からギロチンの露になるまで、その時間を覗いてみましょう👀
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平凡だったハプスブルク王家の少女
マリー・アントワネットは1755年11月2日、ハプスブルク王家の皇后マリア・テレジアの末娘として生まれた。
本名はマリア・アントニア (Maria Antonia) で、フランスに渡る際にフランス式の名前「マリー・アントワネット」に変えた。
特に芸術に造詣が深く、舞踊や音楽を楽しみながら、王室に生まれた一人の平凡な少女として自由な幼少期を過ごした。
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政治的に結ばれた結婚
当時オーストリアはプロイセンを、フランスはイギリスを牽制するために、険悪だった両国が手を組むことになり王室の同盟を固めるための政略結婚の対象としてマリー・アントワネットが選ばれた。
フランス式の新しい名前や新しい衣服など、すべてが見知らぬベルサイユ宮殿で彼女は、1770年5月16日、ルイ16世との結婚式を挙げた。
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孤独だった王室の生活
1774年、ルイ15世の死後、夫のルイ16世が王位に就き、王妃となったマリー・アントワネット!
しかし、王室生活は順調ではなかった。
臆病な性格で鍛冶の趣味を持っていた夫とはうまくいかなかったし、フランスの敵であったオーストリア人に対する不信感により「オーストリアの雌犬」という別名で呼ばれた。
さらに結婚後、しばらく子供を産めなかったことからマリー・アントワネットに非難と悪評の矢が飛び交った。
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贅沢の象徴となった王妃
ついに、結婚7年で長女マリー・テレーズ (1778-1851) が誕生。
その後も3人の子供を出産した。
しかし、子供の出産だけで彼女に対する評価を変えることはできなかった。
フランスは当時、最悪の財政危機を迎えており、首飾り事件に加え、「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」という発言をマリー・アントワネットが言ったと誤解され、贅沢な王妃の枠がかけられた彼女に怒りの矛先が向けられた。
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フランス革命、そして処刑
怒った民心はフランス革命につながった。
無能の象徴となったルイ18世は廃位後処刑され、マリー・アントワネットも刑務所に移送された。
財政の浪費、腐敗などの疑惑に加え、息子を強姦したという恥辱的な近親相姦の疑惑が決定的な理由として働き、死刑を宣告された。
結局、マリー・アントワネットは1793年10月16日、38歳の若さでギロチンで刑場の露となって世を去った。
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