以前「新しい道」で、日本は先の大戦での破滅的敗戦から70年の間、一度も戦争をせず、他国においてこの国の名のもとに一人の命も奪っていない。これは大きな外交上のメリットであり、できることなら戦後100年になってもこのメリットを保持していたいものだ、と述べたかと思います。その思いはいまも変わりませんが、世界の変化がその実現をますます難しいものにしています。
筆者の両親は戦争経験者でした。両親から戦中戦後の悲惨な体験を聞かされて育ちました。東日本大震災の直後、津波に破壊された東北の市街の映像をテレビで見ていた母が、「終戦直後の東京みたいだわ」と呟いたのを覚えています。「よほど辛いことがあっても、戦争のときのことを思えば我慢できる」何か不幸なことがあると、母はそう口にしていました。
旧職業軍人の一部を除いて、ほとんどの戦争経験者は「何があっても戦争をしてはいけない」「戦争だけは二度としてはいけない」と云います。それは記憶に刻みつけられた体感からくる感情であり、理屈を超えた意思なのだと思います。
20世紀の終わりまで、そうした体感を持った人たちがまだ多く生存していました。それが理屈を超えたブレーキとなって、この国が「戦える」国になることを、抜ける剣を持つことを抑えてきました。しかし、21世紀も1/4を経た今日、戦争の体感を持つ人たちのほとんどはすでに世を去り、体感による戦争への忌避ブレーキは効かなくなってしまいました。
人間は高度な知性を持ついっぽうで感情の動物でもあります。強烈な体験から生まれた感情は、しばしば理性を凌駕します。そうした感情を多くの市民が共有していれば、それは強い社会的なブレーキにもアクセルにもなるのです。
「失敗学のすすめ」の畑村氏によれば、失敗の経験による教訓の社会的有効期間はおよそ60年だとされています。その間に当事者がいなくなり、当事者意識が希薄になってしまうからです。80年という時間の経過が、体感からくるブレーキを無効にするのは当然と云えるでしょう。体感としての戦争体験を持たない世代は、記憶ではなく記録として、資料やデータを通して戦争を識るしかありません。
この25年の間に世界の変化は加速し、経済的な相互依存による国際平和という、資本主義に基づく幻想は見事に裏切られ、国連安保理の常任理事国による隣国への侵略という事態に至って、いまや我々は国際法も国連による抑止も通用しない世界に生きています。
本当に残念なことですが、自分の国はまず自分たちで守って見せなければならない、そうしなければ他国からの支援も得られない、という国際政治の現実を目の当たりにしています。「戦争をしない」けれども、有事には「戦える」国にならなくてはならない。抜ける剣を持たなければならない、という現実です。
そして、持つからにはその剣の遣いかた、いつ抜くのか、抜いたときに何が起こるのか、どうすれば抜かずに生き残れるのか、それを真剣に考えなければならない世界に生きているのだという自覚を持たなくではなりません。
体感によるブレーキを失った以上、これからの操縦には理性によるブレーキしかありません。感情や情緒に流されることなく、Fakeに踊らされることなく、正しく検証された記録や資料、データに基づいて、どのような剣を持つのか、持ったうえでどうしたら抜かずに生き残れるのか、この国の行く先を選択していかなければなりません。
そして、何よりも忘れてならないことは、戦争は畢竟人と人との殺し合いだと云うことです。記録や資料が示す数字は確かに理性的な判断の基になりますが、その数字の背景には多くの人の死があり、その死者の一人ひとりに家族や友だちや愛する人がいた、と云うことです。
いつかあなたもその一人になるかもしれないのです。