前掲のコメント【James Joyce the Deportee Ⅰ】は記載日時に≪書庫: Les Monologues≫に掲載されたものです。コメント応答の流れの中で、J.ジョイスが話題になり、それについて述べたものですが、同じ題材があちらこちらに散らばるのは、分かりにくく不便です。そこで、J.ジョイスに最初に言及したこちらの≪書庫:Au Forum≫ に移転させました。

なお、【James Joyce the Deportee Ⅰ】は≪書庫: Les Monologues≫の【The last rose of summer】というノーツの下記のVene さんのコメントの対する返信です。

今後はJ.ジョイスが主題になるコメントはここでおこないたいと思います。お友達の皆さんからもコメントいただければうれしいことです。ありがとうございました。

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* ラチカンさん、ご無沙汰しています。
こちら日本では新型インフルエンザが猛威をふるい、
特に多くの学校で学級閉鎖に陥る事態になっています。
ラチカンさん地方はいかがですか。
なかなか投稿できずすみません。

言葉というのは、発したり綴った人の問いかけそのものであり、
(いや訴えと言った方がいいのかな)
それをどんな意味だろうと受け止めて考えるのは
例えば会話をしていたら、出来ていそうなものなのに
そうではないと、日常を思い起こし反省しています。

ラチカンさんがここで発した言葉は
多くを問いかけてくれているのです。
それで自分自身にあらためて問いかけてしまい
勝手な一人旅が始まってしまうのです。
見落としていたものの多さに愕然としたり
新たな発見に胸を躍らせたり。
2009/10/19(月) 午後 0:07[ ven*t*an*lily ]

* いつも勝手な一人旅を楽しんでばかりで申し訳ないです。
ただ、どうかこれだけは信じて欲しいのですが、
ラチカンさんの言葉って心に響くし響くだけに
いつまでも心をふるわせてくれています。
ここに名前を記した私は、投稿できないときにも
お話を続けたいと願っています。
扉を叩けない日が多いのに勝手な言い分ばかりですよね。
ごめんなさい。

今、オススメのジェームスジョイス「The Dead」について
色々調べています。映画もオススメでしたよね。
日本では「ダブリン市民より」という邦題で紹介されているようです。アイルランドのくせのある英語も聞けるかな。
まず映画を見てみますね。そして彼の作品も読みたいです。
言葉の芸術家と呼ばれているのですね。
チューリッヒに何故住んでいたのだろう。言葉に苦労しなかったらしいけど、何故ドイツ語圏?感想も聞いてくださいね。

今度こそクリスマスのことを書きま~す!
大事な場所なのですよ、ここは。私自身のために。
ではまた!
2009/10/19(月) 午後 0:31[ ven*t*an*lily ]

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Lass of Aughrim Reprise
映画【NORA】より"オーホレムの乙女" Ewan McGregor&Susan Lynchの歌です。この歌は伝統的なアイリシュケルトの古謡ですが、ジョイスはThe Deadの中の最も重要な、エピファニーへの転回にこの歌を使っています。
NORAとは Nora Barnacle、ジョイスの最愛の妻の名前です。そして運命の女性だったのでしょう。代表作Ulyssesは、1904年6月16日の出来事と設定されていますが、この日は彼がノラと始めてデートした記念日なのです。
アイリシュアクセントとケルト独特のクローズハーモニーをお楽しみください。

イメージ 1

Madonna col Bambino e Giovanni Battista, 1516, olio su tela, 48 x 37 cm, Madrid, Museo del Prado. / Antonio Allegri detto il Correggio (Correggio, agosto 1489 – Correggio, 5 marzo 1534)

深いトラウマを負って、20年も苦しまれたのですね。それだけで、もうあなたの心は、十分に亡き友に届いていると思います。一番苦しまれたのは、その方の御両親でしょう。しかし、彼女は、究極の逃走に身を委ねただけで、苦しみと痛みを、誰かに背負わせようなどとは思ってもみなかったと思います。

このことに関して、思ったことを述べます。予め、自殺という結果を知っていたら、あるいは予測できたならそれなりの対応も可能だったかも知れません。しかし、人の意識の暗く閉ざされた深みの動きを知り予測することは、ほとんど不可能です。単に結果から自分を裁くことは適切な判断とは言えないと思います。

忙しい時、余裕がない時に電話があると、私も苛々して、ついぞんざいになったりします。むこうもこちらの事情や様子は分からないのですから、こうした行き違いは、いつでも、誰にでも起こることです。これは、電話という道具の落とし穴だと思いますが、だからといって、うまく対応できなかった人が、全員自殺するわけではありません。これは、経験として知っていることです。このような日常性に、自殺の原因を求めることは適切でないでしょう。自殺の原因は明らかに他にあります。

それに話をどのように聞けば、あるいは、どのように対応すれば、自殺は防げたのでしょうか?そんなに簡単には防げないと思います。様々な観念の渦の中で精神を病み、闇の中を漂う人に、再び生きる望みと力を持ってもらうのは、たいへんなケアが必要だと思います。
 
多くの場合、自殺は精神の病のなせる業だと思います。ですから、社会全体が、ケアのシステムを引き受けない限り、多くの自殺者の救済は困難だと思います。これはすぐれて政治の問題です。明治以来の日本の政治は、このことについて、まともに考えたことがありません。切腹、自決、自爆が尊ばれた国ではさもありなんということなのでしょうか。

警察庁の自殺統計によれば、もう11年も3万人以上の自殺者が出ています。今年も最悪ペースで進んでいて、3万人を越えることは確実視されています。もし、こんなことがヨーロッパで起こったら、大変な事になります。というより、起こりえないでしょう。、自殺を防ぐセフティーネットやケアシステムが張り巡らされているからです。ところが、日本では、そうしたシステムがないばかりか、行政は、困ったことだと言いながら、自己責任だから仕方がないと、何の対策もせず、放置し続けたのです。「日本という人間を幸福にしないシステム」と呼ばれた国の所以だと思いました。

そもそも、政治や行政が自己責任を言い出したり、様々なツールを使ってにおわせたり、誘導したりする時は、無責任、責任逃れ、責任放棄だと思って間違いありません。自己責任なら、みなさん何でも、自分で解決すれば良いわけで、国も司法も立法も行政も、政治家も公務員も必要ないではありませんか。

自殺は個人的な努力で解決できる問題でも、個人の責任で済ませられる問題でもありません。新政権が社会を変革するというなら、自殺問題にも真剣に取り組むべきだと思います。そして、この死に至るや病の治療システムやセフティーネットやケアシステムの構築と、このような病を惹き起こしにくい、もっと当たり前に生きられる豊かで寛容な社会システムと社会意識の養成が必要だと思います。

そういうわけですから、あなたには、一切、責任はありません。あなたが責任を感じるのは、その友への思いがあるからだと思います。それは、愛の一つの形だと思います。ともかく、
すべてを氷解させて、すべてを赦すことです。あなたにとって、この痛みや苦しみは重荷だったことでしょう。そして、それを背負わせた友を、時には恨めしく感じたことと思います。そんな感情も、自分で赦せないあなた自身も、水に流すのではなく、そのまま受け止め、赦してあげてください。それは愛です。亡き友もそれを望んでいると思います。

こうして、すべての苦悩やわだかまりが解消すれば、友を、優しく、懐かしく、思い出すことができると思います。時には、話しかけてみてください。「今日ネコちゃんがね.......」とか「紅葉がきれいだったよ........」とかそんな普通の話です。きっと、友も喜んでくれると思います。コスモスは見える世界ばかりではありません。神も天使も死者と生者を区別しません。

わたしの愛が、キリスト・イエスにおいてあなたがた一同と共にあるように。   【1コリント 16:24 】

聖マリアのお導きと、癒しの神の祝福がありますように。

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The Hill of Tara アイリシュケルトの聖地タラの丘

言葉についての様々な思いを綴ってくださってありがとう。私の言葉がVeneさんのインスピレーションと新たな発見に繋がったのなら、それこそ私の願いであり、最良の喜びです。言葉や問いかけについてお話したいことがありますので、これは後ほど新しいステージで述べたいと思います。どこの書庫にするかは、書いてみないと分かりませんので、掲載時に、ここのコメント欄でお知らせします。

J.ジョイスは1904年22歳の時、アイルランドを去ってから、数度の短期滞在以外には、再びアイルランドに帰ることはありませんでした。The Dead(1907)もUlysses (1922), Finnegans Wake (1939)もアイルランドが舞台ですが、外国で書かれたのです。彼はアイルランドとりわけダブリンにこだわり続けた、アイルランドから最も遠い作家だったと思います。

チューリッヒ滞在は2度、5年間ほどありますが、最初の滞在(1915年 - 1920年)は、第1次世界大戦の混乱から逃れるため、当時オーストリア・ハンガリー帝国領だったトリエステからの避難です。2度目(1940年 - 1941年)は、フランスを占拠したナチスドイツからの逃避行です。いずれも、敵国人となったアイリッシュとしては、止むに止まれぬ中立国スイスへの逃避行だったと思います。そして、この20年も住み慣れたパリからの逃避行が最後の旅になりました。

戦争は否応なく人間をそしてあらゆるものを破壊します。ジョイス家のパリ脱出には、大変な困難があったようです。一家は1940年12月17日チューリヒに辿り着きましたが、健康状態が悪化し、翌1941年1月13日十二指腸潰瘍穿孔の手術の予後悪化のため死去しました。58歳と11ヵ月の生涯でした。

彼の生涯を滞在地別に区分けすれば、概ね下記のようになります。

1882年 - 1904年 : ダブリン アイルランド
1904年 - 1915年 : トリエステ
1915年 - 1920年 : チューリッヒ(避難生活)
1920年 - 1940年 : パリ
1940年 - 1941年 : チューリッヒ(避難生活)

トリエステはベネチアの隣に位置するイタリア語地域で、第一次世界大戦前は強大なオーストリア・ハンガリー帝国に占拠されていました。戦後帝国の敗戦により、イタリアに戻された歴史があります。J.ジョイスは、カトリックの教育を受けましたので、ラテン語、フランス語、イタリア語に通じていました。それもあって、トリエステ、パリといったロマンス語地域が、一種の亡命生活の基盤になっていたのだと思います。

The Dead ぜひともお読みください。J.ヒューストンの映画も凄いです。目前に迫った自分の死を凝視した彼の遺言は、深々と降る雪と闇の中へ、消え去っては蘇るrevelation(ヴェールを取り除く事/黙示)なのだと思います。