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クリスマスを待ち望むアドヴェントも、明日の日暮れまでになってしまいました。いつものことですが、この頃になると、過ぎ去って行くアドヴェントに、「ちょっと待って!」と言ってしまいます。この期間中にかかわらず、この1年、何をしていたのだろうかという思いに、心の隙間が埋まらず、木枯らしが吹くのです。

人として世に現われ、死して甦り、再臨を約束されたキリストの誕生を喜び祝いながら、待ちながら、神の愛と御恵みにふさわしいことは何一つできず、無為に時を過ごしてしまった愚かな私の姿に、今更ながら愕然とするわけです。そんなことを言っても時は待ってはくれません。クリスマスはすぐそこです。せめて、再臨の時までには、私の債務が果たせますように。

さて、教会では、17日からはLiturgia horarum(聖務日課)のvespera(夕の祈り)で歌われるMagnificat(マリアの歌)の初めと終わりにO antiphona が歌われるようになります。

オウ アンティフォナとは旧約聖書の預言に基づく、主イエスキリストの降臨と再臨を願って「来てください」と主へ直接呼びかける歌ですが、7つのantiphonaは、下記のように、すべてOと言う間投詞で始まるのでO antiphona と呼ばれています。

12月17日: O Sapientia (O Wisdom)
12月18日: O Adonai (O Adonai)
12月19日: O Radix Jesse (O Root of Jesse)
12月20日: O Clavis David (O Key of David)
12月21日: O Oriens (O Sunrise)
12月22日: O Rex Gentium (O King of the nations)
12月23日: O Emmanuel (O Emmanuel)

Oの次の言葉は、すべてBibleに記されたキリストの尊称であり、属性です。そして、御名の最初の文字を23日から遡って繋ぐと、ERO CRASというラテン語になります。それは≪Tomorrow I'll Exist/明日私はいる≫という意味で、私たちの「来てください」という呼びかけに対する、主の答えになっています。

私の好きな21日のO antiphona は次のように歌われます。

O Oriens,
splendor lucis aeternae, et sol justitiae:
veni, et illumina sedentes in tenebris, et umbra mortis.
(Raticani訳)
おお ライジングサン
久遠の光の壮麗な輝き、そして正しい太陽:
来て、照らしたまえ 暗闇に、死の陰に残る人々を。

そして本日(23日)歌われる最後のO antiphona は次のようです。

O Emmanuel, Rex et legifer noster,
exspectatio Gentium, et Salvator earum:
veni ad salvandum nos, Domine, Deus noster.
(Raticani訳)
おお インマヌエル、我らの王、立法者、
人々の期待、そして救い主、
来て、救いたまえ 我らを、主よ 我らの神よ。


こうしてADVENTUSは過ぎ去ろうとしていますが、クリスマスはこれから始まります。

A tutti auguro buone feste del santo Natale
みなさまに、慈しみに満ちた素晴らしきクリスマスが訪れますように。

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Sinterklaas/Sint Nicolaas(聖ニコラウス)と Zwarte Piet(黒いピート) 


ニコラちゃんが伝わらない理由は、日本からの観光客は多くても、所謂名所見学で、小国の文化や慣習などに触れる機会はほとんどないということ。
次に、オランダに住む日本人というか、ヨーロッパ在住の日本人というか、どちらにしろUSA在住と比べたら遥かに少ないということ。
それから、オランダ在住の方が知ったところで「ふーん、そうなんだ」で終わってしまって、日本にはサンタクロースが来るから、積極的な話題にしないことなどによるのではないかと、独断と偏見を持って推測します。

カトリクにとって、復活祭はクリスマスよりも重要な意味を持ちます。それゆえに、あまりに宗教的過ぎて、一般的な日本人には受け入れ難いと思います。死して甦ることの意味の理解や、キリストの復活を信じなければ復活祭は意味がありません。

そして、復活祭に先立って、46日間に渡る四旬節と呼ばれるキリストの受難の意味を考え、その苦痛苦悩を体験するというか、わが身に引き受けようとする期間があります。、当然のことながら、祈りと、自身の節制と、他者に対する愛と慈しみの行為を実行しなければなりません。これなしの復活祭はあり得ないと思います。

それから、復活祭は、春分の日のあとの最初の満月の次の日曜日と決められており、年毎に日が変わる移動祭日ですので、これも分かりにくい理由でしょう。参考までに来年の復活祭は4月4日です。

そういうわけですから、クリスマスのように、なんとなく、ただ誕生にあやかれば良いというわけにはいかないと思います。

それから、お友だちのMarianneさん、もうお分かりだと思いますが、Maria(Marie/Mary)とその母Anne(Anna)を合わせた名前です。

それから、Marianneはフランス共和国のナショナルエンブレム、つまり国章、象徴、徴です。切手やお札、あるいは市庁舎の胸像などに現されています。1番有名なのは自由の女神像です。自由、平等、博愛といった国家理念や、革命、共和国を象徴し、体現しています。

お友だちのMarianneさんフランス系の方かもしれませんね。少し古風でありふれているけど、良い名前ですよ。日本だったら桜さんとか撫子さんといったところかな。

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Immaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae / Virgo Immaculata
Representación de la Inmaculada Concepción por Murillo
hacia el año 1660~1665 : El Museo Nacional del Prado, Madrid, España
Bartolomé Esteban Murillo : Sevilla,31 de diciembre de 1617―Cádiz,3 de abril de 1682

12月8日はImmaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae/無原罪の御宿りの祭日でした。カトリックには、聖母マリアはその母=聖アンナに宿った時に、すでに原罪を免れていたという理念が、伝統的に存在します。今日では教義になっていまして、Immaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae=無原罪の御宿りと呼ばれ、最も重要な祭日のひとつになっています。

伝承によれば、アンナとヨアキムの夫婦は、子供の誕生を切に願っていましたが、子供ができないうちに、歳をとってしまいました。そんなある日、天使が現われ、子供の誕生を告げました。こうしてマリア様はお生まれになり、無原罪のマリアと呼ばれるようになりました。

アンナはその子を神に仕える者として捧げる約束をしました。マリアが3歳になった時、約束どおり、エルサレムの神殿に彼女を捧げました。神との約束は成就され、成長したマリアは、神の母として、救い主の母として、生涯を神に捧げることになります。そして今も、生ける聖母として、迷える我らの、祈りを取り次ぎ、共に祈り、救いの御手で導いてくださっています。その母である聖アンナも人々の篤い崇敬を集め、多くの祭壇画や彫刻に描かれています。

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Saint Anna and Mary in the parish church in Ortisei Val Gardena Italy/Sculptor Anton Pitscheider-Menza
聖アンナと聖マリア(少女)像 イタリア チロル地方のオルティゼイの地区教会:聖アンナはセイントアン、サンタナと言う発音の方がなじみ深いかもしれません。Sant'Anna Santa Ana Sainte Anne Saint Anne(Ann)というように表記されますが、その語源はヘブライ名のギリシャ語訳Hannahに遡ります。日本にも似た名前がありますよね。はな、はん、というような昔の伝統的な名前です。


カトリックがマジョリティーの国や地域社会では、この日から、人々の心は、一層キリストの生誕に向ってゆくようです。静かに過ごす人、うきうきとと楽しそうに過ごす人、バイブルなど見向きもしなかった人が、キャロルを歌ったり、聖句を呟いたり、教会に足を運んだり、色々な珍現象がおきます。カテドラルや教会は1年で最も活気に溢れた華やかな佇まいになります。まるで、キリストの誕生が今日のことであるかのように。

Sis.Maria Teresiaさん お忍びでありがとう。

ロザリオは、聖母に捧げるバラの冠、マザーテレサが最後まで肌身離さず持っていたものですね。バイブルとロザリオ、彼女の残したものはこれだけでした。しかしそれは明らかに物ではありません。最初にあった言葉、言葉が人として世に降り立ち、私たちに残した大いなるなにものかの導きの星であり、apocalypsis/revelation(ヴェールを取り去ること/黙示)であると思います。

ベアタマザーテレサはキリストの秘蹟を証し続けた方です。それは、"Deus caritas est/神は愛"の証しでもあり、今も、ヤコブの階を降り、我らのために姿を現し、我らと共に祈ってくださるRosa Mystica,Sancta Maria,Ave Maris Stella(海の星 聖マリア)の証しでもあると思います。

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われ御膝下にひれ伏して、御身が天主より恵まれ給いしを讃美し、謹みてわが身を献げ奉る。*なお諸天使・諸聖人の、常に尽せる敬いと愛とを献げんと欲すれども能わざれば、せめて力のあらん限り讃美し、かつ仕えまつらんと欲し、守護の天使、諸聖人の前にて、一心に尊み敬い、わが慈しみ深き母、わが元后、わが保護者と仰ぎ頼み、わが肉身と五感、わが霊魂と知恵、ならびにわが愛情、わが生命をも託せ奉る。われ終生、聖母の子たるを楽しみ、聖母のしもべたるを高き位よりも重んじ、御名をほめ、御恵みを人に顕わし、ひとえに仕え奉らん。願わくはこの志しをあわれみて、これを果たすを得しめ給え。聖母は絶えずわれらを思いて、恵みを与えんと計り給えば、われ、いかで一日もこれを忘るるを得んや。ああ聖母、われを守り給わばわれに足らざるところなからん。故にこの涙の谷より、御助けをひとえに仰ぎ奉る。  〔聖マリアに身を献ぐる祈〕より
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バイブルとロザリオさえあれば、キリスト者は生きてゆけるものです。なぜなら、主が私の身近に現存し、聖マリアが絶えず、慈しみと励ましの眼差しを送って下さるのを、確かなものとして認識し、信じることができるからです。

お話になられた教会は美しい教会ですね。あなたが癒されたり、リラックスできたり、ハッピーになれそうなら、いらっしゃればと思います。そこに、あなたが幼い頃に、聖母マリア教会で見つけた何かを見出せたらうれしいです。このウェヴにはアドヴェント、クリスマスや色々なページがあって楽しませていただきました。

http://nunoike.nagoya-diocese.jp/index.htm

あなたがラテン典礼文を覚えているのには感激しました。これも神の御恵みと聖マリアのお導きだと思います。

>全ての命に神の祝福がありますように
>生まれてきたことへの祝福が、その生が尽きるまで途切れることなく続きますように

明日13日はガウデーテ(喜び)の主日です。愛に満ちた喜ばしい日でありますように、祝福されたアドヴェントシーズンでありますように、サンクタマリアのお力をお借りして祈ります。


Ave, Maria, gratia plena;
Dominus tecum:
benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui Iesus.
Sancta Maria, Mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus,
nunc et in hora mortis nostrae.
Amen.