イメージ 1

今年もクリスマスシーズンが終わりました。皆さんはどのように過ごされましたか。クリスマスへの思いや、思い出をお願いしていましたが、Stella Adriana Vene さんから、前のクリスマスシーズンの出来事や、ヨーロッパ滞在中の思い出を、投稿していただきました。たいへん貴重で、興味深いお話をありがとうございました。改めてお礼を申し上げます。その内容次のようなものでした。

1、2008年クリスマスのVene家のある出来事
2、クリスマスの起源と古代のお祭りについて
3、聖ニコラウスとサンタクロースについて
4、アントウェルペン・ノートルダム大聖堂のリューベンスの祭壇画について

それらは、ゲストブックと書庫【Au Forum】へいただいたものですが、思わず頬の緩む楽しいお話や、滞在者の見たオランダ、ドイツの習慣、あるいは、キリスト教文化の根底に触れる問題が含まれています。しばらくの間、この書庫で、再び光を当ててみたいと思います。

今日は【1、2008年クリスマスのVene家のある出来事】について、以下に原文を掲載し、その後に、少し、私の言葉を置かせていただきたいと思います。

イメージ 2


昨年のクリスマスの我家の思い出を綴ります。

昨年のちょうど今頃、
街の景色がそろそろクリスマスの装いを始める頃でした。
「クリスマスとはどんな日か思いをめぐらせてみませんか」という、
ラチカンさんの言葉がずっと心に残っていた私は
クリスマスの準備は娘二人と共に
その日がどんな日なのか考えてから始めようと決めました。

安直かと迷いながらもまず1歩をと思い
クリスマスについて子供にもきちんと伝えられる絵本を探しました。
恥ずかしいことに私自身が子供に伝える言葉を持たなかったからです。
同時に私自身もクリスマスをきちんと知るチャンスになると思ったからです。
そこで1冊の絵本にめぐりあいました。

バーバラ・クーニー(BARBARA COONY)さんの
「クリスマス」という絵本です。

これは幼稚園児には少し難しいですが
小学生低学年でも親が助けながら読めば
おそらく話の内容は伝わると思います。

クリスマスがどんな日であるか
またイエス様がお生まれになる前から
12月には世界でどんなふうに過ごされてきたか
それが今ではどのように変化してきているのか
とてもわかりやすくて綴られていました。
サンタクロースの歴史についても触れられていました。
オランダ・ベルギー・ドイツの一部などでは聖ニコラウスが
馬に乗ってやってきますという説明もあり
住んでいた当時の謎まで思いがけず解けて嬉しかったです。

以下、親ばか全開になりますが
今回ラチカンさんの言葉をきっかけに出会った絵本と共に
娘たちの成長に感動したことを記させてくださいね。

まず長女の話です。
彼女は私が買ってきた絵本を見つけて驚くほどに喜びました。
理由を聞くと、学校の図書館でこの本を借りようとしていて
他の本も見ているうちに誰かに借りられてしまったというのです。
同じ本に注目しているということは目的もやはり同じなわけで。
イメージ 3
「クリスマスの意味を知ろうとして探していたの?」と聞くと
「クリスマスの意味なら知ってます。」と断言するので
「え・・何故知ってるの?そして知ってるのに何故探していたの」と
問いただしたところ
「マザーグースでやっていたでしょう。イエス様の誕生を祝う日と。
そしてね、今年はクリスマスのもっとたくさんの意味を
自分で調べようと思ったの」・・とのこと。

が~ん。
マザーグースのビデオは米国駐在の可能性もあったので
英語に慣れさせようと幼稚園の頃見せていたものですが
幼児の記憶には残っていて大人の私の記憶から消えていることが
ショックでしたし
絵本と共に自慢げにクリスマスを説明しようとしていた自分が
恥ずかしくなりました。
彼女は既に自分自身で問いかけていて行動を起こしていたわけです。

ちなみに彼女がその絵本を選んだ理由の1つが
表紙の絵だったそうです。
その絵を見て「この本が色々ヒントをくれる」と思ったそうです。
挿入絵も作者と同じバーバラさんです。
バーバラさんが知ったらお喜びだろうなあと思いました。
・・・というわけで長女の成長を実感したエピソードでした。

次女の話と北欧(中欧かな?)のクリスマスの思い出も
書きたいと思っています。聖ニコラウスの話などです。
ラチカンさんのクリスマスの過ごし方や
また幼い頃などの思い出深いエピソードなどもよかったら
聞かせてください。
(2009/10/27(火) 投稿)

調子に乗って、昨年の次女のエピソードです。
絵本を母娘3人で読み終わったあと、次女は「わかった!」と
嬉しそうに手を挙げました。
(幼稚園では手を挙げて意見を言うよう指導されています)

「クリスマスケーキとは、イエス様のお誕生日ケーキなのです!」
とのこと。

え!?ちょっと(いえ、かなり?)違うのでは・・。
とりあえずヨーロッパでは季節感0の苺がたくさんのった
クリスマスケーキなど存在しなかったし・・(今はどうかな?)
ケーキを食べるのはどちらかというと、
飲んで歌って食べた冬至の祭りの流れでは・・・

と思いつつ、彼女なりに、誕生を祝うという大切なポイントを
押さえてくれているのを褒めてしまいました。

今年も家族で絵本を読み直そうと思います。夫にも読んでもらおう!
我家のクリスマスの飾りつけはこの週末です。楽しみです。
(2009/12/2(水) 投稿)

イメージ 4

バーバラ・クーニーさんは200冊以上も出版していて、クリスマスがつくタイトルの本も何冊もありますので、その本かどうかわかりませんが、それらしきものを掲載してみました。この本でしょうか?愛らしく、素朴で慎ましく、しかも気品あるイラストですね。バーバラさんの絵を選んだ長女さんは、好ましい感性と本物を見分ける能力を育てているようです。

長女さんはイエス様の誕生を祝う日とは何か、その深い意味を知りたかったのでしょうね。その本に何が書かれ、どのように受け止めたのかわかりませんが、素晴らしい本であることはVeneさんの言葉から推察できます。長女さんは、日々、探求し考える力が育っているのだと思います。今年は「イエスキリスト」の伝記ですか。それも自分のお小遣いで。良い本であれば良いですね。それにしても、私の子供の頃に比べれば、素晴らしい子供たちですよ。クリスマスと言えば欲しいプレゼントのことばかり考えていましたし、本は買ってもらうもので、自分で買ったことがないような思慮のたりない子供でしたから。

「クリスマスケーキとは、イエス様のお誕生日ケーキなのです!」と言う次女さんの姿には思わず頬が緩みます。そのとおりですよ。私たちが皆クリスマスに、キリストの誕生を祝うためにお菓子を用意して、分ち合って食べることにどのような意味があるのでしょうか?それはキリストが示した徴です。彼女たちはやがてその徴の意味を問うことでしょう。そして、厩の飼い葉桶に眠る幼子と、辺りを包む闇のなかに灯された慎ましく仄かな光の意味も考えることでしょう。やがて、お二人が、バーバラの絵のように、光を受け継ぎ、自ら光の源になり、誰かに伝え、そして、新たな地平に向って歩むことを、思わず、期待してしまいました。

イメージ 1

Il Battesimo di Gesù(1437~1446 circa) Museo San Marco di Firenze
Giovanni da Fiesole al secolo Guido di Pietro Trosini (Vicchio, 1395 – Roma, 1455)
detto Beato Angelico o Fra'Angelico 


本日1月10日は【主の洗礼】の祝日です。イエスが、ヨルダン川で、洗礼者ヨハネから、洗礼を受けたことをを記念する日です。これで、アドヴェントゥスから始まる主の降誕に係わる祝祭は幕を降ろすことになります。【主の洗礼】は4福音書の全てに記されています。

民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。 【ルカ 3:15~16】

そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。
ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」
しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。 【マタイ 3:13~15】

民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、
聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。 【ルカ 3:21~22】

+++ ++++ +++ 

かってはクリスマスシーズンは、The Twelve Days of Christmasと言われ、キャロルにも歌われているように、25日から数えて12日目のエピファニーの前日の日没まで、すなわち、エピファニーイヴの直前まででした。そして、エピファニーはクリスマスを締めくくる最後の祭典でした。

クリスマスシーズンが今のような形になったのは、Concilium Vaticanum Secundum・第2バチカン公会議(1962~65)以後のことです。カトリックの長い歴史から見れば、昨日の事で、人々の意識は、今もって、エピファニーに伴う様々な祭典で、このシーズンを締めくくっているようです。主の洗礼は大切な祝日ですが、それとは別に、私のクリスマスもエピファニーのお菓子と共に終わるようです。

今年のクリスマスシーズン振り返ってみれば、それは、11月29日から始まったアドヴェントに引き続き、12月24日のクリスマスイヴから始まりました。その後の祝祭日は次のように経過しました。

12月25日:クリスマス デイ
12月26日:最初の殉教者聖ステファノの祝日
12月27日:聖家族の祝日/使徒福音記者聖ヨハネの祝日
12月28日:聖なる幼子殉教者の祝日
1月1日  :神の母聖マリアの祭日
(ここまでが、特に、Octavaとして祝われる8日間)

1月6日  :エピファニーの祭日
1月10日 :主の洗礼の祝日
 
思えば、瞬く間に過ぎたクリスマスですが、今年も、たくさんの言葉のなかで、様々なことに思いをいたしました。考えるばかりで、なかなか形にならないのですが、先日は教皇の言葉への思いを述べました。これから、もう少しクリスマスが運んでくれた思いについて綴ってゆくつもりです。


イメージ 2

L'Adorazione dei Magi (1441-1442 circa) Museo San Marco di Firenze
Giovanni da Fiesole al secolo Guido di Pietro Trosini (Vicchio, 1395 – Roma, 1455)
detto Beato Angelico o Fra'Angelico.

今年はエピファニーについて書きませんでしたが、やはり、とても重要な祭日なので、昨年とほぼ同じ内容ですが、少し述べさせていただきます。

エピファニーの祭日は1月6日です。昔は日没が1日の境界でしたので、5日の日没から6日は始まります。クリスマスから数えて12日目にあたるのでTwelfth Dayとも言い、現代の感覚で言えば、その前夜-5日の夜から6日未明までをTwelfth Nightと呼びます。
 
Epiphanyのオリジンはεπιφάνεια(epiphaneia:コイネ・ギリシア語)で、明らかに示す、現す、現われる、隠れていたものが明確に姿を現すことを意味します。ラテン語では、ほぼそのままEpiphania/Epiphaniaeと表記されます。

神がイエス キリストとして、人として姿を現わした日です。すなわち東方の3人のMagi(賢者、博士)がベツレヘムの厩を訪れ、幼子イエスを礼拝した日をSollemnitas Epiphaniae Domini(公現祭)と呼び盛大に祝ってきました。クリスマスから始まる降誕節のフィナーレを飾る祭日と言えましょう。各地に、特別なパーティーや、ご馳走や、お菓子を食べる習慣が残っているようです。

シェイクスピアの喜劇Twelfth Night, or What You Willはあまりにも有名ですが、ジェイムズ ジョイスの傑作 The Dead(死者達/死せる者達)も、この夜(作品中にTwelfth Nightとは書かれていませんが)のダブリンを舞台とした、GabulielとGrettaが展開する、リヴィレーションとエピファニーの物語です。生、死、犠牲、贖い、愛、救いといったモチーフが、夜を通して、静に静に降り積もる雪の中で、綴られてゆきます。

まだ読んでいなかったら、是非お読みください。読む者の中に大切な何かを甦らせ、新たな生命を与えてくれる本当に素晴らしい作品です。私はこれを読んでジョイスの虜になりました。読み終わった後、熱いものがこみ上げて来ました。それは、確かに、心のrevelation(ヴェールを取り除く事)であり、魂のEpiphany(顕現、現存)であったと思います。

*Au Forum に、James Joyce/The Deadを廻る一連の対話(断続的に進行中)があります。


Victoria - O magnum mysterium

イメージ 1

Madonna in adorazione del Banbino (1520 circa)
ad olio su tavola, 81 x 77 cm, Galleria degli Uffizi, Firenze  
Antonio Allegri detto il Correggio (Correggio, agosto 1489 - Correggio, 5 marzo 1534)

教皇のメッセージの背後には、このような悲劇がありました。犠牲となった宣教者たちへの愛と惜別の思いが、いかなる暴力、迫害にあっても、「和解と平和のlievito(イースト/パンの素)として」教会が働くという宣言を、この時期に、繰り返し確認することに、連なっているのだと思います。

教皇はこの後、世界中の様々な場所で起こっている迫害、差別、排除、虐待、暴力、貧困、不正や悲惨と、困難と痛苦について言及し、教会は、主キリスト イエスに随い、あらゆる所で、いかなる暴力、妨害や迫害にあっても、キリストの福音を述べ伝え続けること。

「いかなるイデオロギーも、満ち溢れんばかりの真理と愛に、取って代わることはできない」こと。

そして、教会は「各々の人の奪うことのできない固有の権利 の尊重と、欠くことのできない生育発達への召喚状、正義と博愛の告知、調和の源」であることを明確に宣言しています。

これは使徒に連なる者の主キリストへの義務であり、暴力と迫害のなかで犠牲となった多くの兄弟姉妹に対する誓いであり、今もあらゆる危険の中で、命の光を伝え続ける数百万の宣教者、キリスト者への励ましなのです。

イメージ 2
以上が、教皇のメッセージの私なりの理解です。人として、全て心に留めたいことですが、このクリスマスに当たって、光が、厩の飼い葉桶に眠る幼子と、辺りを包む闇の中で、ささやか、ひそやかに灯され始めた事を忘れないようにしたいと思います。これこそ、まことに、神からの大きなクリスマスプレゼントなのです。

≪あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである≫【ルカ 2:12】 飼い葉桶に眠る幼子こそすべての始まりでした。キリストは最も弱いものとして、最も無防備な幼子の姿で現われました。幼子は人間の愛とケアがなければ生きられません。

これが1つのしるし(signum)です。すなわち、愛により独り子を、人の世に遣わした神は、人間に愛され、いつくしみ育てられることを求めています。そしてまた、最も無防備な者、最も弱い者への愛こそ、神への愛であることを示しているのだと思います。≪そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』≫【マタイ 25:40】

そして、幼子が眠る厩の貧しさと慎ましさは、もう1つのしるしです。静寂と闇に包まれた、幼子が眠る場所の貧しさと慎ましさこそ、最も神聖なる空間ではありませんか。「キリストの愛と、その慎ましさと、その貧しさ」のなかで始まった、最初のクリスマスに灯されたほのかな光は、人の心から心へ伝わり、世に広がり、すべての人を照らす光となって、今日も消えることなく、伝えられているのです。

≪わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか≫【ヤコブ 2:5】貧しさや慎ましさは、決して、蔑視すべき対象ではありません。キリストの生誕と聖書の言葉に思いを巡らせれば、それはむしろ、畏敬と祈りの対象ですらあるのです。これこそもう1つのしるしの意味ではありませんか。

イメージ 3

Madonna met Kind van Michelangelo/La Madonna col Bambino o Madonna di Bruges 1501~04
Onze-Lieve-Vrouwekerk Brugge, België /Église Notre Dame de Bruges, Belgique
Michelangelo Buonarroti (Caprese Michelangelo, 6 marzo 1475–Roma, 18 Febbraio 1564)

誤解を恐れずに言えば、私には、信仰はあっても、宗教はないのではないかと、時折、思います。ですから、皆さんに、宗教を勧るつもりなど、露ほどもありません。信仰については、それは、まったく各々の心の問題に属することですから、勧めたり勧められたりして持てるものではないと思います。私は皆さんの心の多様性と、精神の自由を尊重します。私は、キリストを愛し、キリストを信じる一人の人間として、光を伝えたいと願っています。光を受け継ぐ心と出会い、その精神が自ら光の源となり、光を伝えてくれることを願い、そして、この命の大地が、人間が造り出す悲惨の闇から開放され、もう少し幸福そうに輝いてくれることを、心から願ってやみません。

N.B.
*教皇ベネディクト16世のメッセージ(原文イタリア語、ラテン語)の引用文は、全くの1個人としての、あるいは、前教皇以来のポゥプのファンとしての、私の訳文です。したがって、日本のカトリック教会の公式な日本語文書とは、一切関係がありません。
*文中の用語の一部は、ラテン語等からの私の訳で、日本のカトリック教会の用語とは異なる場合があります。
*日本語聖書の引用は、日本聖書協会出版の新共同訳聖書を使いました。理由は、現在、最も広く使われているとされていることです。