被爆直後の長崎カトリック浦上天主堂からの光景
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振り返れば、20世紀は未曾有の戦乱とホロコースト(大量虐殺)と破壊の時代でした。かつて、こんなにも生命の価値が軽かった時代があったでしょうか?あの時代、あの大戦の時代には、世界中で目を覆うばかりの地獄絵図が繰広げられました。

それは人間の持つ究極の罪と悪の発現であったように思います。そんな目を覆うような光景と、何億人もの被災者、犠牲者を目前にしても、人類は未だに、戦争と破壊を止めようとはしません。我々は人類の愚かさに絶望して黙するよりないのでしょうか?

被爆直後の爆心地広島原爆ドーム一帯
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原因はどこにあるのでしょうか?答えは簡単にみつかります。国家や民族と呼ばれる集団の指導者が、己の妄想と欲望の追求と憎悪をすべてに優先させ、民衆をミスリードするからです。もちろん、その影には、恐怖と戦争を食い物にする、兵器産業、金融資本などの影がちらつきますから、実情は複雑な様相を呈します。

それはともかく、考えても見てください。我々が自分の妄想と欲望や憎悪を優先して生活したら、剥き出しのエゴとエゴの衝突から、諍いだらけの日常になることでしょう。そんな社会では、誰にも心を許すことができず、誰も安んじることができません。


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国際関係は、未だに、そのような状況なのです。しかも、国全体が犯罪組織化した国や国民からの収奪組織化した国、武器輸出をしたり武器商人と取引している国、犯罪組織や国際テロ組織と結びついている国、人権など木の葉のように扱われる国、国家のためなら、殺そうが盗もうが何をしようが許されると考える国等があって、国際間の相互不信や疑心暗鬼は高まるばかりで、問題の解決を困難にしています。

現代は、未だに、国と国、集団と集団の関係が、人間の意識を支配しかねない状況にあります。そんな時代だからこそ一層、人間としての尊厳と義務を証しすることを忘れてはならないと思います。

するべきことは、覇権や支配や力からの決別と、Liberté, égalité, fraternité(自由、平等、愛)の理念の社会的実現への道を訴え続け、地球上の兄弟姉妹としての他者へのcompassion(思いやり/傷ついているものと痛みを分ち合い、共に復活と回復の道を捜し求めること)の具現化と、ケアとシェア(分ち合い)の実践を、積極的に続けてゆくことだと思います。

Hiroshima 1945
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万里の長城もハドリアヌスの壁も、今はただの遺跡に過ぎません。ベルリンの壁も倒されました。現代を貫く人間の意識の壁は、遥かに強靭かもしれません。しかし、人類が滅亡せずに、人間社会が存続すれば、この壁も、いつの日か、痕跡を留めるに過ぎない時代がやって来ると思います。

我々に必要なことは、後ろ向きになって壁を強化することではなく、たとえどんなに不十分、不完全であっても、人類の連帯と共生への一歩を踏み出すことだと思います。

Normandie
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我々が望むことは、人間が人間として共に生きることで、覇権や、支配や、武力の行使ではありません。あらゆるものが尊厳を持って生きるその日は、陽炎の彼方にかすんで見えても、草の根と言われる、1人1人の人間同士の小さな愛の伝達が広がってゆくことを願って止みません。

国境や民族集団を越えて、1人の人間として交流を深め、無理解や誤解、相互不信の壁を壊して行くことは、ほんの小さな湧き水に過ぎなくても、やがて、大河の流れに変わる可能性を、確かに秘めていると思います。


これは、シシリア生まれのベルギーの国民的シンガーソングライターSalvatore Adamo(仏:サルヴァトル/伊:サルヴァトレ)の"Inch'Allah" (1967)という曲です。≪Le Pays des Mythes 2≫は1ページに入りきれなくなってしまいました。仕方なく2部に分けることになりました。そういう訳で、この歌については<part two>で触れます。 

Inch Allah

(つづく)
書庫【Noël 2009】の≪Christmas is coming to your home sweet home 【4】≫に文化と宗教、日本の伝統文化と神道との関係、あるいは天皇に関わるコメントをいただきました。この問題は、少なからず複雑で神経質な論議を内包しているようです。このBlogのモチーフからすれば、いささか、場違いかもしれませんが、この問題が内包する歴史的、政治的側面について、人間の在り処という観点から、概括し、どのようにこの問題を乗り越え、将来の展望を開くべきかを論じることは、日本にとっても世界にとっても必要且つ有用なことだと思います。このアーティクルズ1及び2はそのような認識に基づいて書かれたものです。

*Christmas is coming to your home sweet home 【4】:http://blogs.yahoo.co.jp/raticani/32447956.html 

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神道のオリジンはアニミズム(自然崇拝、汎霊崇拝)、祖霊崇拝、シャーマニズムが1体となった信仰表現だと思います。こうした信仰形態はアフリカからユーラシア、オセアニア、南北アメリカに至る世界中のあらゆる場所に、ごく普通に存在したものです。恐らく、太古の先史時代に人類が獲得した原初的で、典型的な信仰形態の1つで、人類の移動と共に世界中に広がっていったのでしょう。

日本列島でも、そもそも、神道という単一の宗教が存在したわけではなく、もともと、それぞれの人間集団に固有のアニミズム的信仰があったのだと思います。もちろん、そうした信仰の背後には、異なったルーツや人間集団、異なった文化の存在が想定されます。

氏神という言葉が残っていますが、これはある氏族の祖先と考えられている神、ないしは祖先の時代から崇拝されてきた、その氏族特有の守り神のことで、氏子とはその子孫を指します。かっては、氏族毎に、氏族の数だけたくさんの氏神氏子がいたのでしょう。これは、日本列島の先史時代からの複雑な人間集団の往来、去来や、接触、衝突を示唆していると思います。

ところで“神道”という言葉は、〔易経〕や〔晋書〕等の中国の古典に出てきます。日本の“神道”という名前はこれらの中国の古典から採られたということです。こうした“神道”という名の由来が暗示するように、神政一致のヤマト王権の統一支配への歴史の中で、王権の正当性と権威を確立する必要性があり、支配者による、神話と信仰の、支配的統一と再構成が行われたのが実情だと思います。古事記、日本書紀の成立にはこうした事情があったと思います。

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そもそもが、記録に使われた文字は中国伝来のものですし、この時代に存在した和・漢・百済の文書(和・百済の文書は失われ現存しない)からの引用や影響は多大なものがあります。特に官製の正史として書かれた日本書紀は、漢文体(中国語)で書かれていますが、当時の中国文として、正しい漢文体と、倭習(日本語的な発想に由来する一種の誤用)がある文体の部分に別れており、正しい漢文体の部分は中国人が書いたと推定されています。

そしてまた、伝承されてきた神話や信仰にしても、卑弥呼の時代あるいはもっと以前から、様々な外来文化からの宗教的、思想的影響を受けています。主なものは、道教、陰陽五行思想、仏教、密教、修験道、神仙思想、儒教です。

こうした錯綜した歴史を持ち、支配者の都合による編纂がなされた神道ですが、朝廷の力が弱まったことや、封建制や、神仏混淆に加えて地下水脈のように流れ続ける土俗性などもあって、民衆レベルでは、江戸時代までは、それぞれの神社が、それぞれの氏子集団に伝わる伝承や民俗的なものに基づいて(外来的な影響を排除したわけではないが)民俗的信仰として、それぞれの道を歩いていたようです。

もっとも、中世以後になると、被支配階層では、村落共同体の鎮守神としての性格が、次第に強くなっていったようです。八百万(やおよろず)といわれる神々は、あちらこちらの集団の中で、錯綜しながらも、素朴に崇拝されていたようです。

氏神氏子の有名なものとしては、天児屋根命を含めた春日神(春日大社)の藤原氏、八幡神(八幡宮)の源氏、宗像三女神(厳島神社)の平氏、それから、天照大御神(伊勢神宮)の皇室などがあります。伊勢神宮も明治の初めまでは、天皇家だけの氏神神社でした。

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王権復古を掲げて登場した明治政府は、強大な統一大日本帝国を創るるためには、天皇への権威の集中と皇威の発揚が必要と考えました。天照大御神の子孫とされる天皇の現人神(あらひとがみ)としての神格化が行われ、天皇を頂点とする、国民の臣民(天皇の家来、僕)化と階層化と、それを支える精神支配の理念としての天照大御神(伊勢神宮)を別格の頂点とする全神社のピラミッド型階層化が行われました。  

これには、二年をかけて欧米を見聞した岩倉使節団の宗教的経験が反映されていると思います。私は、プロテスタントから派生してアメリカ北西部に勢力を広げつつあったある新興宗派との数ヶ月に渡る接触が、国家神道という宗教の政治利用への発想に、決定的な役割を果たしたのではないかと推測しています。

それはともかく、全神社のピラミッド型階層化に伴い、たくさんの神社が、破却されたり、本来の祭神が替えられてしまったりしたそうです。こうして国家神道が創出され、日本人はもちろん、被占領民にも神社崇拝と皇居遥拝が強制されるようになります。

欧米に対して、近代先進国家としてのプレゼンスを示し、対等に伍し、国際交渉を円滑に進めるために、大日本帝国憲法に於いても、一応、信教の自由は定められていました。しかし、帝国政府は、神社神道は宗教にあらずという“神社非宗教論”を捏造し、神道をすべての宗教の上に置きました。こうして、天皇崇拝、神社崇拝は宗教的強要ではなく、憲法に定める信教の自由とは矛盾しないという詭弁の下に、あらゆる宗教と、人間の精神を、超宗教としての専制国家教によって支配しようとしました。

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このような支配体制は1867年(慶応3年)の大政奉還から、1945年(昭和20年)の太平洋戦争の終結後まで、1911年の迫害、殺人集団特高(特別高等警察)の創設、1925年の治安維持法の制定と、絶えず強化されながら続きました。この間の、社会運動家、社会主義者、民主主義者、キリスト教徒などや言論に対する弾圧は凄まじいものでした。特高や治安維持法は戦後の10月まで維持され、この間哲学者三木清が虐待により殺害されたことは衝撃的です。


明治の初めの“浦上四番崩れ”という長崎のカトリック信徒の流罪事件では、一村丸ごと3000名を越える子供を含むクリスチャンが流罪に処せられ、この間の拷問、私刑で600人以上が命を落としました。さらに、太平洋戦争が始まると、キリスト教会でも皇居遥拝が強制され、これに従わない者は逮捕され拷問を受けました。そのため何人もの犠牲者を出しています。

浦上四番崩れ: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E4%B8%8A%E5%9B%9B%E7%95%AA%E5%B4%A9%E3%82%8C
キリスト教弾圧:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99#.E6.98.8E.E6.B2.BB.E7.B6.AD.E6.96.B0.E5.BE.8C
〔目次>8.日本とキリスト教>8.1.3明治維新後 />8.2.1カトリック 参照〕

さらに、この神聖なる神道帝国は聖戦の名の下に、アジア各地を侵略し、夥しい犠牲を強いました。その正確な死者数は、いまだ不明としか言うよりありませんが、一説によれば、日本人の犠牲者は300万人以上、アジア全域では2000万人以上に上ると言われています。そういうわけですから、現在伝わる神道的な儀式、習俗に関しては、その背後の歴史や政治的意図を考えてしまいます。国際社会もこの点に関する警戒心は非常に強いと思います。個々の神社にとっては、まことに不幸な歴史を負わされてしまったわけです。


憲法・第一条に定められているように「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」ということなら、日本国民の総意ということで受け入れなければならないでしょう。しかし、国際社会で受け入れられるのはここまでです。私は象徴としての人間天皇には隣人と同じ親しみを感じます。それ以上でもそれ以下でもありません。しかし、彼の国には、常に、天皇の神格化と政治利用の亡霊のようなものが漂うのを感じます。もう二度と現人神と国家神道の道を歩み、日本と世界に災いを振り撒くことがないように祈るばかりです。その道は、今度は間違いなく日本の墓標になるでしょうし、世界の終焉をもたらすことになるでしょう。

(つづく)
2010/2/10(水)、アーティクル≪Comme le vent du Moyen Age≫に情報や報道に関するコメントをいただきました。このアーティクルは、それに関する返信です。

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ⅰ)情報や報道にどう対処するかは難しい問題です。発信されるアーティクルズに対しては、一般的には次のようなことを心がけると良いと思います。

1、鵜呑みにしないことで、疑ってみること。伝聞と同じで、人の言うことは、自分で確認するまで信用しない。

2、情報源は明記されているか?情報源の明記されてないものは、一方的な当事者ないしは捜査にかかわる当局の発表や、故意の情報漏えいのコピーの疑いが濃いので、そういうものとして受け取る。特に、当事者ないしは当局のリークは問題です。必ず何らかの思惑を持って行われています。
隠蔽とミスリードの種まきの場合が多い。

3、できるだけ多くの情報を集め、その異同について観察する。この場合は、必ず違いに注目すること。違いを比較検討して行くと、疑問や新しい見方が開ける場合がある。同じに注目すると、すべて同じように見えてしまって、違いを発見するのは難しい。

私は報道機関にいたことがありますので、そのいい加減さと無責任主義は知っているつもりです。報道は速報性が重視されることもあって、一般的に、丹念に取材したり、入念に考察している時間がありません。だから常に手近で安易に得られる情報や、権威のありそうな公官庁機関や団体、学術研究機関や大会社のばら撒く情報に傾きがちです。こうすれば、早くて、安くて、責任回避ができるからです。このファストインフォメイションと呼べるような情報は、社会をミスリードする可能性が大きく、危険と裏腹な関係にあります。常にそのようなものとして懐疑的に受けとめます。 

しかし、そうかといって報道を無視すれば、ほとんど情報から隔絶されることになりかねません。結局、世界的な視野で、注意深く、情報の森に対処するよりありません。ネットの時代になって、瞬時に世界中から情報を得られるようになり、以前とは比べものにならない情報の海が開かれたわけですが、今度は、情報の選別に時間と能力を要求されるようになりました。時代は、情報の隠蔽は困難な時代になって行くのかもしれませんが、他方、情報操作や情報攪乱も容易に行われる状況とも言えるわけです。

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ⅱ)私たちは意識によって情報に出会うわけですから、というより私たちの意識に情報は生起するわけですから、結局は認識能力を鍛えるよりありません。

私の場合、認識の関する方法論は、phénoménologie(現象学)の影響を受けています。誤解を恐れずに、単純化して説明すれば、存在するとされるあらゆる事物や、事実とされるものから、その存在性や事実性を留保し、意識上の現象としてのみ受け止め、考察するという認識の方法です。こうして、事物や事実とされるものから、あらゆる先入性や日常経験性としての定立を剥ぎ取り、ポケットに封印して、裸の意識の解明を通して、真の認識に迫ろうとする試みです。

このBlogの全てのアーティクルズは、そうした思考方法によって生み出されたものです。私の思考の方法論や現象学について、必要があれば述べることもあるかもしれませんが、少々面倒で、退屈な論旨になりかねませんので、避けたいのが本音です。しかし、これから掲載するアーティクルズも含めて、このblogを読んでいただければ、実際それがどのような方法であるのか、どのように展開して、どのような結論を導き出すのか、十分に理解していただけると思います。