Inch'Allah"は1967年にリリースされて、ブーム的な大ヒットとなった、強烈なメッセージ性を持つ、文学的で思索的な、20世紀後半を代表するエポックメイキングな作品です。アダモはイタリア語、スペイン語、英語でも歌っています。

驚くべきことに、この歌は、今日までの43年もの長い歳月、1度も忘れられたことがなかったようです。その理由は、この歌の魅力にあるのでしょうが、他方、戦争と悲惨が、未だに世界を被っているということでもあるでしょう。しかし、また、戦争と悲惨をなくしたいと願い祈るたくさんの人々がいるということでもあると思います。

レアリテとイリュージオン、イマージュとミラージュ、自在にワープする空間と時間性、押韻で綴られたリリクスは、ポリフォニックな対位法的アンサンブルを聞かせてくれるようです。ヨーロッパでは、世代や国境を越えて、まるで昨日生まれた歌のように、多くの人に伝えられ、愛され、歌われ続けています。

私がアーティクルズ≪Le Pays des Mythes≫に引用したのは、そのモチーフにふさわしいレトリカルなトランジシオンとしてですが、カトリック文化圏に生まれ育ったアダモのリリクスの背景には、当然のことながら聖書の世界があります。

特にエルサレムを舞台としたこの歌には、聖書の世界が幾重にも重なっているように見えます。その世界について、全てに言及することはできませんが、オリーヴの樹を軸として、少しばかり述べてみたいと思います。

留意すべきことは、リリクスを通して見えるアダモの聖書に対する認識が特別のものではないこと、子供の時から聖書や教会に親しんでいる者ならば、誰でも持っている程度の一般的なもの、いわばごく当たり前のものであるということです。

19世紀の世紀末に神は死んだと言われてから、久しい歳月が流れましたが、現代でもなお、クリスチャニティーの風土と意識は、広く深く流れ続けていると思います。そうした地下水脈のような意識が、ある表現の場でどのように現われるのか、その一つの例としてお読みいただき、ヨーロッパ文化やキリスト教文化に対する、認識と思考の地平を広げるきっかけにしていただければ幸いです。

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〔(1)1459;Andrea Mantegna (Isola di Carturo, 1431 – Mantova, 13 settembre 1506):オリーヴ山の麓ゲッセマネで痛苦と悲しみの中で祈るイエス 眠りこけているペトロやゼベダイの子といった弟子達 左手からはユダに導かれた捕縛者が迫る〕

1.リリクス"Inch'Allah"は、キャトラン(4行詩)形式の10個のスタンザズとInch'Allahのルフラン、即ち、プレファス〈第1スタンザ〉、1番〈第2,3,4スタンザ〉、2番〈第5,6,7スタンザ〉、3番〈第8,9,10スタンザ〉で構成されています。最初に、このリリクスの俯瞰の意味で、プレファスと1番の原文と訳と、2番と3番の概略を記しておきます。

1)J'ai vu l'orient dans son écrin
avec la lune pour bannière
Et je comptais en un quatrain
chanter au monde sa lumière

私は宝石箱の中にオリエントを見た
旗のための月と共に
そしてそこから、キャトラン(4行詩)で
その光を世界に歌おうと思った

Mais quand j'ai vu Jérusalem,
coquelicot sur un rocher,
J'ai entendu un requiem,
quand sur lui, je me suis penché.

だが、エルサレムで、
ある岩の上のコクリコを見た時
私はレクイエムを聴いた
その花の上に身をかがめた時に

Ne vois-tu pas, humble chapelle,
toi qui murmures "paix sur la terre",
Que les oiseaux cachent de leurs ailes
ces lettres de feu "Danger frontière!"

慎ましやか礼拝堂よ 知らないのか
"地に安らぎを"とつぶやくおまえよ
鳥たちがその翼でおおっている
"国境危険"の火の文字を

Le chemin mène à la fontaine.
Tu voudrais bien remplir ton seau.
Arrête-toi Marie-Madeleine!
pour eux, ton corps ne vaut pas l'eau.
Inch'Allah Inch'Allah Inch'Allah Inch'Allah

その道は泉へと導く
おまえのバケツをいっぱいに満たしたいと思っても
お止めなさい マリーマドレーヌよ 
彼らにとって、おまえの体は水に値しない
インシャラ ~ ~ ~  (神[アッラー]が望むならば)

2)オリーヴの樹は 囚われ人として 敵地の 瓦礫の下に眠る やさしい妻 愛する者の 影を悼み 嘆き悲しむ
鉄条網の棘の上で 蝶が薔薇を狙う 人々は愚かに 私を拒絶するだろう もし私がひかなければ
地獄の神か天の神か おまえは良い所にしかいないらしい このイスラエルの大地には 震えている子供たちがいる
Inch'Allah Inch'Allah Inch'Allah Inch'Allah

3)女たちは暴風雨に倒れる やがて血は洗われる 道は勇気で造られる 1人の女が1つの舗石に
そうさ、私は、エルサレムで 岩の上のコクリコを見た その花の上に身を屈める時 私はいつもそのレクイエムを聴く
大理石の墓を持たない 600万の魂へのレクイエム その魂は 汚された砂にもかかわらず 600万の樹を茂らせる
Inch'Allah Inch'Allah Inch'Allah Inch'Allah

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〔(2)オリーヴ山麓ゲッセマネの園のオリーヴの樹〕

2.第5スタンザ(2番の第1スタンザ)は次のように歌われています。

Et l'olivier pleure son ombre,          
sa tendre épouse, son amie
Qui repose sous les décombres
prisonnières en terre ennemie.    

そして、オリーヴの樹はその影を悼み、嘆き悲しむ              
優しい妻、友なる者                   
瓦礫の下に眠る
虜囚として敵の土に
(オリーヴの樹は 囚われ人として 敵地の 瓦礫の下に眠る やさしい妻 愛する者の 影を悼み 嘆き悲しむ)

聖書はオリーヴあるいはオリーブの木について、度々言及しています。リリクスの《l'olivier/そのオリーヴの樹》とはキリスト教文化の中で、どのような意味を帯びているのでしょう?ヘブライ語聖書(旧約聖書)を引用してみます。

"鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った"【創世8:11】
"小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、オリーブの木と蜜のある土地である"【申命記 8:8】
"オリーブの木は言った。『神と人に誉れを与える/わたしの油を捨てて/木々に向かって手を振りに/行ったりするものですか。』"【士師記 9:9】
"わたしは生い茂るオリーブの木。神の家にとどまります。世々限りなく、神の慈しみに依り頼みます"【詩篇 52:8 (10)】
"その若枝は広がり/オリーブのように美しく/レバノンの杉のように香る"【ホセア 14:6 (14:7)】
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(3)

聖書に表れたオリーブのイメージと象徴的意味が理解できます。平和、希望、幸福、生命、若さ、豊穣、繁栄、美、恵み、慈しみ、誉、祝福、予言や約束の成就など神が望み、人が望むことの象徴であることが分かります。一言で言えば、神の祝福と愛と恵みの象徴でしょう。

《Et l'olivier pleure son ombre/そしてオリーヴの樹はその影(愛する妻の魂)に涙する》で始まるこのスタンザは、その輝ける栄光のオリーヴの樹の嘆きと悲しみを通して、光と影の鮮やかな対照表現によって、神さえ涙する、目を覆うばかりの悲劇性を表現しています。それは、そのまま作者の悲しみと哀悼の心を伝えています。

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〔(4)オリ-ヴ山から神殿の丘を望む 金色のドームは岩のドーム 中段左端の枝に接するように見える燻し銀のようなドームはアル・アクサー・モスク 手前に白く見えるのは全てユダヤ人の墓、背後はエルサレム市街〕 

3.ところで、古代エルサレムの破壊された神殿の址は[הַר הַבַּיִת‎, Har haBáyit/Le Mont du Temple/The Temple Mount/神殿の丘]と呼ばれ、旧市街の東南の端にあります。今は、イスラムの岩のドームとアル・アクサー・モスクが建っていますが、この破壊された神殿こそ古代エルサレムの中心であり、イエスが最後まで、民衆を教え導いていた場所です。ユダヤ教の聖地[Western Wall/嘆きの壁]は、この神殿の壁の西側の一部です。神殿の丘のすぐ東側には、キドロンの谷を隔ててオリーヴ山のスロープが続いています。オリーヴ山は海抜818mだそうですが、エルサレム全体が高地にあるので、神殿の丘より80m程高いということです。

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〔(5)北西方向からのオリーヴ山 南西方向から表情とはまったく異なり緑豊かに見える〕

オリ-ヴ山〈Hebrew: הר הזיתים‎, Har HaZeitim/Fr:Le mont des Oliviers〉は古代にオリーヴ園だったので、そう呼ばれるようになったそうですが、イエスが、その運命の痛みを嘆き悲しみ、苦しみの中で祈り、その後、捕らえられた場所であり、さらに、復活したイエスがこの山頂から天に帰った場所と伝えられています。そうした聖書の事跡を記念する教会や修道院が建てられています。

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〔(6)南西方向から見たオリーヴ山 前掲の風景とは著しく異なる 白く見えるのは1面のユダヤ人墓地〕

そしてまた、ヘブライ語聖書ゼカリヤ書に、神の民の回復が予言され、同書14:4には"その日、主は御足をもって/エルサレムの東にある/オリーブ山の上に立たれる。"と記されているので、ギドロンの谷からオリーヴ山の山腹一体は古代からの、夥しい数のユダヤ人の墓で溢れています。

(つづく) 
      Joyeuses Pâques   Happy Easter
 
       Vive Le Printemps
 
 
    主の復活に深い感謝を捧げます
  キリスト イエスの復活こそ我らの命の源泉です

 
 
 
メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」【ルカ 24:25】
 
あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。
あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。【コロサイ 3:3~4】
 
これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。【コロサイ 3:14~15】
 
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〔ウェスタボルク強制収容所のレール フランク一家もここから、アウシュヴィツ絶滅収容所(ポーランド)へ移送された〕

1945年1月6日1つの命の火が消えました。その経緯は次のようなものです。

1944年8月4日  夫と2人の娘、そして4人の同居者と共に、アムスタダムの隠れ家で、ゲシュタポに拘束される
1944年8月8日  拘置所からウェスタボルク強制収容所(オランダ)へ移送。
1944年9月2日  アウシュヴィツ絶滅収容所(ポーランド)へ移送。これが夫との別れとなる
1944年10月30日 娘たちはベルゲンベルゼン絶滅収容所(ドイツ)へ移送され、独り残される。
1945年1月6日  餓死

その人の名はエディト フランク。マルゴト、アンネ姉妹の母です。あと10日で46歳でした。書けばこれだけのことです。《日記》の中で、時にアンネはこの母のことを辛辣な目で見ていますが、それは、この年頃の少女にありがちなアンビヴァランスに由来するものだと思います。非難や確執は、そのまま愛や関わりの深さを内包していると思います。

生還者の証言によれば、ウェスタボルクとアウシュヴィツでは、フランク母子は、一緒に助け合い励ましあいながら、それでも希望を失わずに生きていたようです。1944年10月30日、自己犠牲も厭わず、娘たちを守ってきた母に、さらに残酷な選別の時が訪れます。娘たちから引き離され、1人残されたのです。

その後の、生死も知れぬ娘たちを案じながら、酷寒のアウシュヴィツで、恐怖と、苦痛、そして何よりも、孤独と、絶望に押し潰されながら、過ごした最後の日々を思えば、胸は張り裂けんばかりです。アウシュヴィツの開放まであと21日でした。このような、悲惨、人間が人間に科する残虐な悲惨は,もうこれ以上許すことはできません。

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本日は、最後の晩餐(聖木曜日)、主の受難(聖金曜日)と続く、過ぎ越しの3日間の最後の聖土曜日です。墓に葬られたキリストの苦しみと死を、我が身に引き寄せ、人間としてその意味を問い直す日だと思います。日が暮れれば、復活徹夜祭が始まります。この最後の日にあったって、エディトという1人の女性の悲惨を思いました。

思えば聖母も、エルサレムのあの涙の道、Via Dolorosaで、十字架を背負い、血を流し、よろめき倒れながら、刑場に曳かれてゆくわが子を、なす術もなく見つめていました。そして、十字架に釘付けにされ、死んでゆく我が子を見、死した我が子を抱いた聖母の引き裂かれた心に、エディトへの思いは重なり、思わず、祈りの言葉となりました。


Stabat Mater Dolorosa/悲しみの聖母は立っていた

悲しみの聖母は、涙にむせびながら、御子のかけられた十字架のもとに立っておられた。
嘆き、憂い、悲しむその魂は、鋭い剣で刺し貫かれた。
おお何という悲しみと痛みよ、神のひとり子の、この、尊い母は!
貴い子の苦しみを見た慈愛の母は、悲しみと嘆きにくれた。
これほどまでに悩むキリストの母を見て、ともに泣かぬ者があろうか?
子と共に嘆き苦しむ、いつくしみ深い母を見て、ともに悲しまぬ者があろうか?
(聖母は)イエズスが、その民の罪のために責められ、むち打ちに耐えられるのを見た。
聖母は最愛の御子が見捨てられ、霊を渡して息絶えられるのを御覧になられた。
ああ愛の泉のなる母よ、わたしにも悲しみをわかち、共に涙をながさせたまえ。
私の心に神であるキリストへの愛の火を灯し、その御心へ適わせ給え。
ああ、聖母よ、十字架に釘付けられた御子の傷を、私の心にも深く記させ給え。
あなたの子が傷付けられ、私のために耐えられた苦しみを、私にも分かたせ給え。
命ある限り、熱い涙をあなたと共に流し、十字架刑の苦しみを共に得させ給え。
十字架のもとに立ち、あなたと共に嘆くことを望み奉る。
おとめの中のいとも優れたおとめよ、私を退けることなく共に嘆かせ給え。
キリストの死を私に負わせ、その苦しみを分かたせ、その傷を深く覚えさせ給え。
御子の傷を私にも負わせ、その十字架と血とで、酔わせてください。
最後の審判の日、地獄の火災に焼かれることなく、聖母よ私をお守りください。
十字架で私を守り、キリストの死で防ぎ、恵みで私を奮いたたせてください。
肉体は朽ち果てようとも、魂には天国の栄光をお与えください。