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 Lauda, filia Sion; iubilate, Israel ! Laetare et exsulta in omni corde, 
filia Ierusalem ! 【Prophetia Sophoniae 3:14】
 
娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。 【ゼファニヤ 3:14】
 
The 3rd Sunday of Advent

Gaudete in Domino semper. Iterum dico: Gaudete!
Modestia vestra nota sit omnibus hominibus. Dominus prope.
Nihil solliciti sitis, sed in omnibus oratione et obsecratione cum gratiarum actione petitiones vestrae innotescant apud Deum.
Et pax Dei, quae exsuperat omnem sensum, custodiet corda vestra et intellegentias vestras in Christo Iesu. 
                                                      【ad Philippenses Epistula Sancti Pauli Apostoli 4:4~7】
 
主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。 
あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。 
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。                               
【フィリピ 4:4~7】
 
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今日12月12日は待降節第3主日です。ガウデーテ(喜び)の主日とも呼ばれ、典礼色はバラ色になり、3本目のバラ色のキャンドルに火が灯されます。
 
なぜ喜ぶのでしょうか?もちろん、それは幼子イエスの降誕に対する喜びです。なぜなら、イエスの捧げた犠牲により、私たちは贖われ、救いに与ることができたからです。
 
しかし、それとは裏腹に、十字架の釘を打たれるように、全身が痛みます。なぜなら、イエスを殺したのは人であり、母マリアやマグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリアたちといったガリラヤの女たちと、「エルサレムの娘」たちは最期までイエスに付き従いましたが、後に使徒と呼ばれる高弟たちは、ことごとく裏切って逃げているからです。
 
それが、神の御心であったとしても、罪の根深さを思います。結局、人は何も出来ず、何もせず、イエスを墓に葬っただけでした。主は自らの力で蘇り、私たちにしるしと、言葉と、再臨の約束を残して、天に帰りました。
 
わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。 
わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。 
                                                                 
【ヨハネ12:46~47】
 
せめて、あの日、主自身が、ベツレヘムに灯した小さな火が、今も伝えられていることに感謝し、それを、今日灯すバラ色のキャンドルの喜びとしたいと思います。
 
いつまでも、キリストがまた来てくださるその日まで、この愛の灯が伝えられ続け、たくさんの人々の心の光となり、喜びとなることを願い祈ります。母なる聖マリア様どうぞ一緒に祈ってください。
 
 
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Alleluia, alleluia. Tota pulchra es, Maria, et macula originalis non est
in te. Alleluia
 
アレルヤ、アレルヤ。あなたは比類なく美しい、マリア、そして、あなたには原罪の汚れがない。アレルヤ。
 
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                        Representación de la Inmaculada Concepción por Murillo:
                              Bartolomé Esteban Murillo : Sevilla,31 de diciembre de 1617
                              ―Cádiz,3 de abril de 1682
 
今日12月8日はImmaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae/無原罪の御宿りの祭日です。カトリックには、聖母マリアはその母=聖アンナに宿った時に、すでに原罪を免れていたという理念が、伝統的に存在します。今日では教義になっていまして、Immaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae=無原罪の御宿りと呼ばれ、最も重要な祭日の1つになっています。
 
↓これについては、下記にアーティクルがあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/raticani/31950461.html
少し、長いかもしれませんが、時間があるときにお読みください。

 
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              ルゥるドゥのマサビエル洞窟に立つ無原罪の聖母像
       足元に、少女ベルナデトに答えた言葉"que soy era immaculada councepciou"
       が刻まれています。
 
フランス南部のピレネーにLourdes(その地のオク・ガスコーニュ語ではLorda)という小さな村がありました。1858年2月11日、そこに住む14歳の少女ベルナデトの前に1人の若い貴婦人が現れました。
 
何度目かに現れた時に、ベルナデトが名前を聞くとque soy era immaculada councepciou(オク・ガスコーニュ語)=Je suis l'Immaculée Conception (フランス語)=私は無原罪の御宿り とお答えになったそうです。
 
これが有名なルゥるドゥの聖母の出現です。聖マリアが指差したマサビエルの洞窟からは泉が湧きました。こうして、ルゥるドゥの泉は世に現れたのです。
 
今では、奇跡の泉として、世界中から巡礼や病に苦しむ人々が訪れる聖地になっています。本当に奇跡は起こっているのでしょうか?話に聞けば、奇跡的な癒しはあるようで、カトリック教会も認めています。
 
しかし、私は確認していませんので、分からないと申し上げるよりありません。長じて修道女になったベルナデトは、聖マリアと会ったことは、明確に認めていますが、泉の水の奇跡については知らないと言い続けたそうです。
 
私は奇跡の泉であるかどうかは、どうでもよいと思っています。主が望めば、いつでも、何処ででも、奇跡は起こると思います。大切なのはルゥるドゥの泉が、癒しと、助けを求める人々の、愛と希望の光となっていることだと思います。
 
大切なことは、聖マリアが、今も、私たちのために現れてくださるということです。こうして、私たちは、私たちの主が身近にいらっしゃることを、聖マリアが絶えず、慈しみと励ましの手を差し伸べてくださることを、確かなものとして確信できるのです。
 
                     L'Ode à Marie ; Lourdes
 
皆さんに、生きとしいける命に、無原罪のマリアの加護と、主の祝福がありますように
 

The Second Sunday of Advent
 
 
瞬く間に、週は過ぎ去り、待降節第2主日になりました。今日もまた、皆さんとご家族と、神の全ての創造物に、主の愛と祝福が注がれますようにように祈ります。
 
 
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gratia vobis et pax a Deo Patre nostro et Domino Iesu Christo.
Gratias ago Deo meo in omni memoria vestri,
semper in omni oratione mea pro omnibus vobis cum gaudio deprecationem faciens
super communione vestra in evangelio a prima die usque nunc;
                              【ad Philippenses Epistula Sancti Pauli Apostoli 1:2~5】
 
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わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、
あなたがたにあるように。
わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、 
あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。 
それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。 
                         【フィリピ1:2~5】
 
 
 
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